思うことを。このタイトル、数えてないですがかなりあると思います(笑)。元々競技の話も書きますがそれ以外のことが多かった記憶があります。雑談だったり愚痴だったり。最近は愚痴的なことを書くとその一部分を切り取られる危険性があるので極力そういう部分は避けています。
競技を通して何を身につけるか。ここは前の記事にも書いていた気がします。やはり陸上競技をやれば良いという話ではないと思います。人間的な成長を促す。そのキッカケを与えるモノが陸上競技だと思っています。普通に生活して何も刺激を受けなければ本当の意味での成長はないと思います。
やりたいことだけをやる。それが認められるのかどうか。人は「嫌だな」と思うことはやりたくないと思います。当然の話です。例えばほんの少し練習をして強くなるのであればそれを選ぶ可能性もある。「強くなりたい」という欲求を満たすのであればやはりその部分は誰にでも存在すると思います。ドーピングなどを肯定するつもりはありません。「地位」や「名誉」「金銭」が欲しくてドーピングをする選手の方が多いのかもしれません。自分の限界を知るためにドーピングする人はいないと思います。分かりませんが。
日本には「頑張ることが美学」という傾向があります。上手くいかなくても頑張ればいいんだ。苦労して手に入れるから価値があるんだ。だから脇目も振らず努力し続けなければいけない。倒れるまで練習をして青春を感じる。素晴らしいことだと思います。が、本当にそうなのか。頑張っても結果が出ないこともある。それも「頑張ったからいいんだ」という評価になる。しかし、ずっと努力したのであればやはりそれなりに「結果」がないとしんどいのではないか。
「強くなりたいならスコップで穴を掘り続けろ」という指示をする。それで強くなるならひたすら掘るのかもしれません。が、練習としてはほぼ無意味。穴をひたすら掘っていたら疲労感はあります。疲れ果てて「今日も自分はやり終えた」という感覚にはなるかもしれない。それは疲れることが目的であって競技力を上げることが目的ではなくなっている。
ドーピングの話。薬物を使ったからすぐに結果が出るわけではない。薬物を使ってもきちんとしたトレーニングをしなければ結果には繋がらないのです。一瞬で力を発揮できるような薬というものは存在しない。繰り返しになりますがドーピングを肯定しているわけではありません。許されない行為です。しかし、ドーピングをしたら即結果が出るわけではないというのはきちんと分かっておかなければいけない。
結果を求めたい。それなのに練習はしたくない。キツい事になったら手を抜く。そんな選手は数限りなくいます。上述の「頑張ることが美学」という部分と真逆です。頑張りきれない。やりきれない。それでも自分が「やっていない」と思われるのは嫌。やったふりをする事になる。または、「できない理由」を探し始める。そうやって自分の行動を正当化する事は何も生み出さない。ここも考えなければいけない内容だと思います。
頑張ることが大切なわけではない。頑張れないよりは頑張れた方がいいに決まっている。しかし、「頑張ることを頑張る」というのでは意味がありません。練習は競技力を上げるためにやるのです。ここも競技志向なのか趣味なのかで全く変わってくると思いますが。「ゆる部活」というのができているそうです。適度に身体を動かしたい者が参加している部活。そういう時代なのかもしれません。
そうであればわざわざ集団でやる必要があるのか?ネットで読んだのですが中学時代は部活が厳しいのでお金を払ってトレーニングジムなどに行って適度に身体を動かす。高校から本格的な練習をしようというのがあるようです。それはそれで新しい価値観なのかとしれません。競技志向とは異なる考え方が主流になっていくのかもしれないなと思います。
世の中には少しでも強くなりたいと練習に打ち込む選手がいます。その数の何倍も「適度にやりたい」と思っている生徒がいる。または頑張り方を知らない生徒もいる。ぬるま湯に浸かって何かあれば保護者に助けてもらってやりたいようにやる。そしていきなり社会に出て戸惑う。パワハラだと言うことで自分の事を保つ。そうやってずっと「自分がやりやすい事だけをやる」という行動が認められる。正しいかどうかではなくなる。ノイジーマイノリティではなくなる。これかるはノイジーマジョリティになるのではないかと思います。
今はネット上で炎上したりバッシングする人が少数派になる。声が大きいから全体の意見のように聞こえるが本当はそうではない。しかし、これからは自分の思い通りにならなければ声を大にしてして批判し続ける人が増える気がする。言わなければ損だという感覚になる。それはどうなのか。我々があれこれ言ったところでどうにもならないとは思いますが。
今できることは「極力結果を出す」という部分。めちゃくちゃ練習をするだけではなく、効率よく結果を出せるようにする。ドーピングのように一気に結果が出るものはありません。やはり地道に続けていかなけれはいけない。それは決して楽しくはないかもしれない。それでも何もせずに結果を求めるというのは不可能。やるからにはきちんとやっていかなければいけない。
陸上競技は自己実現の場だと考えています。自分がどれだけできるのか。目標に向かって必要なことがどれだけできるのか。そういう感覚があるかどうかだと思います。単純に足が速いから試合に出るといのでは本来的な面白さは感じられないと思います。何か一つに本気で取り組むことで見えてくることがある。中途半端な取り組みでは分からない。そう信じています。
あくまでこれは私の価値観。絶対的なものではありません。頑張る事を頑張るのはやりたくない。ドーピングのように特効薬もない。だからこそ練習に対してはこちらも責任を持ってやらないといけないと思って練習と向き合っています。ごまかしたり手を抜いたりするのは意味がなくなる。時にはキツい練習もあるでしょう。だからといってやらないという選択肢を選ぶようでは結果には繋がらないと思います。
まとまりません。が、かなり強く思っています。書きたいことの内容が分かってもらえるのか。ここは分かりません。読んだ人がどのように感じるのか。そこに尽きます。