kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

話をする3

2019-03-10 | 陸上競技

続きを。

楽しかった思い出と真逆のことは何か。ここもsuzuneの成長のきっかけになっているのではないかと感じていました。何をどのように思っていたのかは知りたい。色々なことを経験しています。正直、順調に競技ができたとは思っていません。故障があったり貧血があったり。思うように練習が積めないときが多かった。

一番苦しかったのは「2年生の時の県総体」だっと。これもblogには書いています。私もこのことが一番大きかったのではないかと感じていました。blogマニアのsri先生くらいしか思い浮かばないかもしれません。あとはこのblogを興味持ってうちのチームの成長を見守ってくださっている方々には分かる内容だと思います。

このとき本気でインターハイ狙いでやっていました。初日の予選、いきなり48秒8で断トツでトップ通過しました。まだまだバトンの精度も低く48秒前半は狙えるなという感覚がありました。もちろん本人たちもそう感じていたはずです。2年生でインターハイを経験して3年生で勝負という青写真を描いていました。しかし、競技中に棒高跳びでアクシデントが。うちの選手が1本目の跳躍で額を切ってしまいました。引率で動ける者が私だけ。グランドを離れることになりました。妙な胸騒ぎがしながら病院へ。

病院で治療を受けている間もグランドが気になる。そんなときに電話が。絶好調だったsuzuneが準決勝のアップの時にハムストリングに張りが出て走れない、と。肉離れではないかもしれませんが私がその場にいない。選手たちもパニックです。どうして良いのか分からない。棄権するという選択肢も浮かびました。それでもこの子たちの夢をこんな形で途切れさせるわけにはいかない。特にsuzuneが一生背負う「重荷」になってしまう。絶対に避けなければいけない。でも私はいない。

苦肉の策で女子の棒高跳びをやっているmomoを投入することにしました。招集完了時間まで時間がない。無理矢理呼んできてもらいました。ユニフォームもなければスパイクもない。もちろんアップもしていない。そんな状態でいきなりの投入。走練習に関しては全くといって良いほどやっていません。1年生の時に100mを走ったときは14秒8位だったと思います。この状況でノーアップで投入。奇跡的に走ってくれました。49秒1くらいで通過したのでは・・・。奇跡です。バトン練習も1度もしていない。1走で女子キャプテンのairiがパニックになっているnaoとmichiに「大丈夫だから」と声をかけてくれていたようです。

指導者が危機的な状況に対応できないという苦しさ。なんとか決勝もmomoが走ってくれて中国への切符を手に入れることができました。そのときのことをsuzuneは「本当にmomo先輩に申し訳なかった。感謝の言葉しかない。」と表現していました。suzuneが走れなければうちがインターハイに行く可能性はない。それは全員がわかっています。それぞれが大事な存在で支えあえる。忘れなれない出来事ですね。

私自身もこの時のことはかなり印象に残っています。対応できなかったという苦しさもあります。卒業の際にフォトアルバムを作成したのですがこの時の県総体の写真が1枚もありませんでした。それどころではなかったのだと思います。全員に余裕がない。そんな中での県総体でした。

中国までぎりぎり。治療を重ねて数日前に走れるようになる。予選準決勝はかなり走りましたが決勝前にまた足が痛くなる。これは肉離れではなくダメージだと思います。そこまで全く走っていなかった状態から最大スピード負荷。簡単に走れるほど甘くありませんでした。中国大会で8位。ここも苦しかったですね。

3年生の時にインターハイを決めました。その時のことも少し話しました。インターハイが決まって会ったときにそれほど笑顔ではありませんでした。何を感じていたのか。泣き崩れるくらい喜んでいるかなと思っていました。どんな感情だったのか?と聞くと「悔しかった」とのこと。0.01秒差で4位。表彰台を目指してきて本当にあと少しのところで届かなかった。インターハイを決めた喜びよりもその0.01秒の悔しさのほうが大きかった。この子達らしいと思います。その話聞いて私自身も考えさせらえました。その0.01秒を作り出せなかったことに対して申し訳ないなと。

それでもsuzuneはうちで競技をやってよかったと言ってくれる。自分でも入学当初と比べると本当に成長したと感じると。その部分だと思います。インターハイに行けたこと。全くの無名の学校が県内で優勝する。それだけでもなかなかないことだと思います。それだけに留まらずインターハイに勝ち進む。これは私の力ではない。選手が目標をもって進んでくれたからだと思います。naoとsuzune、michiがいてくれたから達成できた快挙。一生忘れられないことだと思っています。

雑談もかなりしましたが。こうやって競技のことを振り返ることができるのは幸せです。「胸を張って一生懸命に陸上競技をやってきたと言えるやろ?」と聞くと「もちろんです(笑)」と即答。それだけの思いをもって競技と向き合てくれたのだと思います。彼女の中にも「hoshoで陸上競技をやってきた」というのは財産として残ると思います。そのことも誇りに思いたいですね。

最後に二人で写真を撮りました(笑)。この子達と写真を撮る機会というのは全くないので。naoやmichiが兵庫に旅立つ前にもこうやって写真を撮ったり話をしておきたいと思います。この子達から学んだことは本当に大きい。出会っていなければ今の私は存在しないと思います。それくらい大きな存在です。感謝の言葉しか浮かびません。大変なことも「少し」はありましたがそれ以上のことを与えてもらった気がします。

またこうやって会いに来てくれるとありがたいなと思います。感謝。心からそう思います。

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話をする2

2019-03-10 | 陸上競技

前の記事の続きになると思います。思うことをつらつらと。

suzuneと話をする。競技に関することは結構話をしてきました。しかし、その時その時に何を考えていたのかというのは時間がたってみないと話せない部分もあります。入学当初はnaoやmichiと練習で一緒に走るのを避けていました。前の記事にも書きましたが「負けず嫌い」ですから一緒に走って負ける可能性があるというのは嫌なのでしょう。このあたりは工夫しながらやりました。

そのことに関して話を聞く。suzuneが「一緒に練習できて感謝している」と言っていました。県内でずば抜けて強い2人が練習パートナーになる。スタートに関しては3人とも悪い。それでも一緒に練習をする中で動きが変わっていきました。変わるための練習をしてきたというのもありますが。二人と一緒に練習をしてスタートで勝つことができれば自信を持つことができる。二人がいなかったらここまで走れるようになれなかった、と。

この言葉を聞いて正直泣きそうでした(笑)。卒業式でも何でもない状況で一人おっさんが泣いているのはやはり危険なので我慢しましたが。表面的にはなかなか言えない言葉だと思います。それでもこのこの中に「確かな想い」が存在する。一人ではできない。でも近くにnaoとmichiがいてくれるからできる。サバサバしているように見えます。それでも「想い」を持っている。当然かもしれませんが。

負けたくない。その想いが大きくある。それでも勝てないことの方が多い。どうするのかという話です。自分の中で感情をコントロールしながら物事に向き合う。それができるようになったからかなと。自分が強くなるためにはは二人の存在が必要。それは3人がそれぞれ思っていたのではないかと思いますね。もちろん口にはしませんが。

「負けず嫌い」についても少し話をしました。聞いていると本当に成長しているなと感じました。その成長を本人も分かってくれているという部分。最初は「負けたくない」と思っていても口だけだったとsuzuneが自分で言っていました。高校生でこの手の感覚を言葉にできるのか。感心しました。負けたくないと思っていてもそれに対して行動が全く伴っていなかった。やならければいけないという気持ちがあってもそれに対して行動できない。自分は弱かったなと思う。それが故障がきっかけで「このままではダメだ」と感じて行動が変わる。

競技をしたいのであれば自分でケアをしなければ行けない。あるときから毎日毎日家で補強とストレッチをやるようになったといっていました。自分が怪我をして初めて「ケアが足りない」と気づいた。やってみると思っていた以上に硬くなっているとことがある。驚いて毎日続けるようになったと。実際、インターハイでレースが終わった日の夜にもsuzuneは部屋にヨガマットを持って入っていました。その話をすると「やるのが当たり前だから」との返答。「終わった」というだけではない。きちんとやるべきことをやっている。

中学時代と比べてどうだったか?という質問もしました。「hoshoに来てよかった」といってくれてはいました。その部分について。「全然違う」と言っていました。中学時代もリレーをやっていました。しかし、ここまで本気ではなかったと。一緒になって同じ目標を目指せる。そのなかで見えてくることがある。本当に楽しかったと言ってくれていました。この言葉は宝物ですね。

うちでなければ経験できなかったことがたくさんあると思います。もちろん他の学校でしかできなかったこともある。比較できない。それでもこうやって言葉にしてもらえると指導してきた意味があるなと。

一番楽しかった思い出は何か?これも聞いてみました。3年間の中で何か。「やっぱりインターハイで走ったこと」とのこと。勝負はできませんでした。チームベスト更新を目標に掲げ取り組んできた。結果としては不足するかもしれない。それでも「インターハイで走ったこと」が大きい。「全てのチームが必死でやってきてやっと立てる舞台」です。とりあえずリレーを組んだという話ではない。その中で全くの無名校が走る。このことの価値と意味。分かる人にしか分からない感覚だと思います。その空気感や光景はその場に立った選手にしか分からない。元々強いわけではない。必死になってやってきたから届いた場所。

前年、suzuneを山形インターハイに連れて行きました。この経験が転機のきっかけだったと思います。うちの女子チームの中心はsuzuneだと思っていました。もちろん、naoもmichiも大切な存在です。この子たちの努力と頑張りは最も近くで見てきています。それでも中心になるのはsuzuneでした。naoやmichiに関してもまた別に書きたいとは思っていますが。二人の間にはいつもsuzuneがいて絶妙なバランスを保ってくれていました。そうであればやはりsuzuneがチームをコントロールすることになる。だから経験をさせたい。

リレーでインターハイへ。これはこの子たちの合い言葉でした。簡単はなしではない。人数が揃わない無名校でどうやって戦うのか。そのことを常に話してきました。3人には本音で話し続けていました。それを感じ取ってくれていたのだと思います。もちろん、その場その場では言葉にはしません。そういう性格の娘たちですから。それでもこちらの想い誰よりも感じ取ってくれていたと思います。本当に出会えてよかったなと思っています。

何を書いているのかよく分からなくなってきましたが・・・。また書きます。そのうち。他者に内容が伝わるかどうか分かりません。その場で経験していたから分かることがある。これまで指導してきた中で一番様々なことがあったかもしれません。その辺りのこともsuzuneと話をしました。

また書きます。多分。

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話をする

2019-03-10 | 陸上競技

思う事を。

金曜日。練習に関してはザックリと書きました。この日は練習の後半にsuzuneが来てくれました。卒業式の時に個別に話ができなかったので時間を作って話をしようという流れになっていました。どんな想いで高校生活を過ごしていたのか、こちらがどう感じていたのかをきちんと話をしておきたいなと。自己満足かもしれませんがこちらが伝えたい事をメッセージとして送るだけではなく言葉で伝えておく時間も必要かなと。

数日間合わないだけだったのですがずいぶん大人になっていました(笑)。髪を括る必要もないのでそういう印象を受けたのかもしれません。雑談をしながら高校時代を振り返りました。

何度か書いていますが中学時代から少し関わっていました。定期的にアドバイスをしたり練習で走りを見たりと。中学生ですから細かいところはできません。大まかになりますが動きの基本的な事を伝えてきました。競技に関してはかなり気持ちが強い部分があります。中国大会を賭けた大会、100mで後一歩のところで届かない。翌日の200mは「絶対に勝ってやる」という気持ちが前面に出ていました。

この子と一緒に競技をやりたいと強く思った瞬間でした。こういう勝気な選手と競技ができれば面白いなと感じていました。アップから1人で黙々とやる。他の選手から離れてやっていました。気になる動きがあれば「今のはどうでしたか?」と聞く。アップなどにめちゃくちゃ関わっていたというのはありません。見ているだけでしたが自分が強くなるために必要なことは自ら聞く姿勢があったと思います。もちろん客観的に見ていただけなので違う部分があるかもしれませんが。それでもsuzuneの魅力を感じるには充分な出来事でした。

ありがたいことにうちの学校を選んでくれました。本格的に一緒に競技をすることができる。もちろん簡単に行く話ではないません。suzune、nao、michiという3人が一気に集まってくれる。とはいえ3人とも「クセがすごい」のです(笑)。本人達は全く悪意がないのですが大変さは関わってみないと分からないと思います。

表に見えて「勝気」なのはsuzuneです。負けたくない。が、実はnaoもmichiも負けん気の強さは同等。naoは練習で負けてもあまり態度に出しません。michiは走れないとかなり不機嫌になる。そしてsuzuneは「めちゃくちゃ不機嫌になる」のです(笑)。まだ幼かったというのもありますが。suzune本人も今なら分かってくれています。自分自身がうまくコントロールできていなかったのは分かっていますから。この個性派集団をどう扱うのか。大きな課題でした。

これもsuzuneと話をしている中で出てきたのですが「3人は態度が悪い」と言われることが多かったようです。誤解されやすい部分が大きい。めちゃくちゃ愛想が良いというのはありません。教員に対して懐いて自ら話をしに行くというのは皆無。他の生徒が「先生、先生」と自ら関わっていくのと比べるとこの子達は「我が道を行く」という部分が大きかったですから。校則などに関しては100%守っていました。中学時代はスカート丈が云々という話を言われたことがありますが高校では全くなし。興味関心はそこにはなかったのだと思います。この手のことで私が指導したことはありません。

本質的な部分だと思います。もちろん、笑顔で明るく元気よく挨拶をする。何かあったら「先生〜」と寄ってくる生徒の方が好まれるのかもしれません。この子達の本当の良さはなかなか分かってもらえないと思います。確かに競技の面でかなり目立っているので行動の一挙手一投足に対して注目されます。だからこそ他の生徒よりは何かあった時に言われる。仕方ないことだと思います。その辺りに関しても指導はしてきました。この子達の良さは他の誰よりも私が分かっているつもりです。贔屓目なしに。

グランドでこの子達の活動を見てもらったらどれだけ必死にやっているのかを分かってもらえると思います。グランドだけきちんとやればそれで良いとは思っていません。それ以外の場面でもきちんとやるのが必要。勉強面に関してはかなりしつこく言い続けました。成績も入学前と比べるとかなり上がっていると思います。その部分の評価は誰もしませんが。私はこの子達の活動を見てきています。

ある程度力がある選手がいると「特別扱い」になることがあります。周りから見ると3人は特別扱いをされていたと感じるかもしれないですね。実際はどうか。これまで以上に厳しく接したことが多かったと思います。何故なら上述のように注目されるからです。何かあったら「陸上だけやれば良いのか?」というような言い方をされる。それだけは絶対に避けなければいけない。そういう色眼鏡でこの子達が見られるのは絶対に避けなければいけないからです。

色々な場面でそういう関わり方をしてきました。suzuneが卒部式の時に「1年生の時はとにかく先生に怒られた」という話をしていました。事実です(笑)。この辺りのこともsuzuneと話をしました。当時と今では何が違うのか。ここに関しては本人達の感覚をしっかりと聞きたいと思っていたからです。自分では周りに気を使っていると思っていたとのこと。が、指摘されて考えてみるとその「気を使う」という範囲が「極端に狭い」ということに気づいたとの話でした。自分は先輩達に気を使っているつもりだったけど実際は全くといって良いほどのレベルでした。

女子キャプテンになって本当の意味で変わったと言っていました。タイミング的に怪我をしたりしていたのも重なったのだと思います。自分自身の行動に対して考える機会になっていたのではないか。そう感じました。練習をしっかりとするために自分がしっかりとしなければいけない。行動を見直す機会になったのではないかなと。自分の事をやれば良いというわけではない。集団として行動するために何をするのか。中心になる選手がしっかりと行動しなければいけないのです。この辺りからかなり変わりました。

最初の頃は本当にすぐに感情的になっていました。思い通りに走れないとすぐに態度に出る。ある意味単純なので関わりやすいというのはありました。不貞腐れたりする、途中で不機嫌になる理由は「競技に対しての想い」があるからです。もっと速く走れるようになりたい。それでも身体が動かない、思い通りの動きができない。こういう時に決まって感情的になっていました。全ては「もっと強くなりたい」という想いから出てくる。手を抜こうという感覚はありません。だから扱いやすい。基本的に単純な理由だからです。

もちろんそういう態度は許されるわけではないですから指導を続けていました。陸上競技の技術指導だけやっていたら良いという話ではないからです。そこに至るまでに何を伝えるか。根本的な取り組みの姿勢から見直さなければ競技での結果にも繋がりません。こういう部分は一切妥協しません。関わり方や指導方法は10年前と比べるとかなり変わりましたが、「伝えたい事」に関しては一切変わりません。

ある時期からその手の事は何も言わなくなりました。どちらかといえば「suzuneを見てみろ」という指導になりました。他者の手本になる部分の方が圧倒的に増えました。練習に対しての姿勢は下級生の手本となる部分でした。嫌なことからも一切逃げなくなりました。合間に下級生に技術的な指導をする場面も多くありました。本当の意味で周りに気を使う。チームとしての活動を理解して動いてくれる。私が何か言わなくてもsuzuneが女子をコントロールしてくれている感じがありました。

ん?書いていたら長くなりました。この子の成長が間違いなくチームの成長につながっていきました。この事は触れておきたい内容です。もうしばらく書きたいと思います。不適切だという部分があればまた考えたいとは思いますが。

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