続きを。
楽しかった思い出と真逆のことは何か。ここもsuzuneの成長のきっかけになっているのではないかと感じていました。何をどのように思っていたのかは知りたい。色々なことを経験しています。正直、順調に競技ができたとは思っていません。故障があったり貧血があったり。思うように練習が積めないときが多かった。
一番苦しかったのは「2年生の時の県総体」だっと。これもblogには書いています。私もこのことが一番大きかったのではないかと感じていました。blogマニアのsri先生くらいしか思い浮かばないかもしれません。あとはこのblogを興味持ってうちのチームの成長を見守ってくださっている方々には分かる内容だと思います。
このとき本気でインターハイ狙いでやっていました。初日の予選、いきなり48秒8で断トツでトップ通過しました。まだまだバトンの精度も低く48秒前半は狙えるなという感覚がありました。もちろん本人たちもそう感じていたはずです。2年生でインターハイを経験して3年生で勝負という青写真を描いていました。しかし、競技中に棒高跳びでアクシデントが。うちの選手が1本目の跳躍で額を切ってしまいました。引率で動ける者が私だけ。グランドを離れることになりました。妙な胸騒ぎがしながら病院へ。
病院で治療を受けている間もグランドが気になる。そんなときに電話が。絶好調だったsuzuneが準決勝のアップの時にハムストリングに張りが出て走れない、と。肉離れではないかもしれませんが私がその場にいない。選手たちもパニックです。どうして良いのか分からない。棄権するという選択肢も浮かびました。それでもこの子たちの夢をこんな形で途切れさせるわけにはいかない。特にsuzuneが一生背負う「重荷」になってしまう。絶対に避けなければいけない。でも私はいない。
苦肉の策で女子の棒高跳びをやっているmomoを投入することにしました。招集完了時間まで時間がない。無理矢理呼んできてもらいました。ユニフォームもなければスパイクもない。もちろんアップもしていない。そんな状態でいきなりの投入。走練習に関しては全くといって良いほどやっていません。1年生の時に100mを走ったときは14秒8位だったと思います。この状況でノーアップで投入。奇跡的に走ってくれました。49秒1くらいで通過したのでは・・・。奇跡です。バトン練習も1度もしていない。1走で女子キャプテンのairiがパニックになっているnaoとmichiに「大丈夫だから」と声をかけてくれていたようです。
指導者が危機的な状況に対応できないという苦しさ。なんとか決勝もmomoが走ってくれて中国への切符を手に入れることができました。そのときのことをsuzuneは「本当にmomo先輩に申し訳なかった。感謝の言葉しかない。」と表現していました。suzuneが走れなければうちがインターハイに行く可能性はない。それは全員がわかっています。それぞれが大事な存在で支えあえる。忘れなれない出来事ですね。
私自身もこの時のことはかなり印象に残っています。対応できなかったという苦しさもあります。卒業の際にフォトアルバムを作成したのですがこの時の県総体の写真が1枚もありませんでした。それどころではなかったのだと思います。全員に余裕がない。そんな中での県総体でした。
中国までぎりぎり。治療を重ねて数日前に走れるようになる。予選準決勝はかなり走りましたが決勝前にまた足が痛くなる。これは肉離れではなくダメージだと思います。そこまで全く走っていなかった状態から最大スピード負荷。簡単に走れるほど甘くありませんでした。中国大会で8位。ここも苦しかったですね。
3年生の時にインターハイを決めました。その時のことも少し話しました。インターハイが決まって会ったときにそれほど笑顔ではありませんでした。何を感じていたのか。泣き崩れるくらい喜んでいるかなと思っていました。どんな感情だったのか?と聞くと「悔しかった」とのこと。0.01秒差で4位。表彰台を目指してきて本当にあと少しのところで届かなかった。インターハイを決めた喜びよりもその0.01秒の悔しさのほうが大きかった。この子達らしいと思います。その話聞いて私自身も考えさせらえました。その0.01秒を作り出せなかったことに対して申し訳ないなと。
それでもsuzuneはうちで競技をやってよかったと言ってくれる。自分でも入学当初と比べると本当に成長したと感じると。その部分だと思います。インターハイに行けたこと。全くの無名の学校が県内で優勝する。それだけでもなかなかないことだと思います。それだけに留まらずインターハイに勝ち進む。これは私の力ではない。選手が目標をもって進んでくれたからだと思います。naoとsuzune、michiがいてくれたから達成できた快挙。一生忘れられないことだと思っています。
雑談もかなりしましたが。こうやって競技のことを振り返ることができるのは幸せです。「胸を張って一生懸命に陸上競技をやってきたと言えるやろ?」と聞くと「もちろんです(笑)」と即答。それだけの思いをもって競技と向き合てくれたのだと思います。彼女の中にも「hoshoで陸上競技をやってきた」というのは財産として残ると思います。そのことも誇りに思いたいですね。
最後に二人で写真を撮りました(笑)。この子達と写真を撮る機会というのは全くないので。naoやmichiが兵庫に旅立つ前にもこうやって写真を撮ったり話をしておきたいと思います。この子達から学んだことは本当に大きい。出会っていなければ今の私は存在しないと思います。それくらい大きな存在です。感謝の言葉しか浮かびません。大変なことも「少し」はありましたがそれ以上のことを与えてもらった気がします。
またこうやって会いに来てくれるとありがたいなと思います。感謝。心からそう思います。