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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

思い込み

2019-11-08 | 陸上競技

どうでもいい話を少しだけ。

 

この時期になると「今日は何かあるんですか?」と色々な人に言われる。自分の中ではいつも通りでも周りからすると「え?」となる。理由は簡単。「カッターシャツを着ている」から。「何かあるのか?」「どこか行くのか?」と聞かれる。どうもいつもジャージを着ているイメージがあるらしい。否定はしないが(笑)。

 

いつもと同じ。夏場は比較的早い段階から「ポロシャツ」を着ている。半袖のポロシャツ。そのイメージが強いのか。ズボンは基本的にはスラックスを履いている。ジャージというのもどうかと思うのでスラックス。だから私的には上が「ポロシャツ」か「カッターシャツ」かの違いでしかない。クールビズ(笑)。ポロシャツだと動きやすい。そのままズボンを履き替えれば練習に行くことができる。

 

が、冬場になると半袖のポロシャツは寒い。当たり前の話。学内でポロシャツを着ておく気にはなれない。そうなれば当たり前のようにカッターシャツになる。この移行期が私にとっては結構しんどい。理由は上述のように「何かあったのか?」と問われるから(笑)。「いつもと同じ」といっても「そんなことはない。いつもジャージ。」と言われてしまい。「下はいつもスラックス履いている」というのだが信じてもらえない。

 

同じようなことがある。陸上競技部の顧問というだけでいつも「先生は運動しているから」と言われる。いや、まったくと言っていいほどしていない(笑)。運動をさせてはいるが自分がすることはほぼない。それでも「運動部の顧問」というだけで「身体を動かしている」と思われる。「運動しているから体型が変わりませんよね」と言われることも多々ある。元々瘦せ型だっただけの話で運動して痩せようとしているわけではない。少し前は過去最高体重になっていた。それでも痩せていると思われる。

 

更に「陸上競技部の顧問」というだけで「長距離走が得意」と思われることが多い。いや、長い距離苦手ですから(笑)。これも完全な思い込みだと思う。痩せ型で陸上競技部の顧問であれば「長い距離が走れる」と思われる。逆に体型が大きくなっていたら「投擲が専門」と思われる。面白いもので「長距離指導者」は結構体形が変わっている人が多い気がする。現役の時に「節制」を余儀なくされていたのでその反動ではないかと勝手に思っている。

 

世の中の大半のことは「思い込み」と「イメージ」で成り立っている気がする。先入観で物事を判断することが多い。私は「落ち着いて思慮深い人」と思われていると勝手に思っている。理由は「時々まじめな内容のblogを書く」から。この一側面だけをとらえるとかなり「真面目に物事を考えている人」と思われるのではないか。9割くらいは当たっているが1割は大外れ。基本まじめで几帳面だと思っているが、「時々」違うことがあるレベルかなと。

 

これも私自身の「思い込み」かもしれない。昨年、北九州の大会に参加した際、他県の先生と一緒に食事をする機会があった。「落ち着いて真面目」というイメージで話されたが一緒にいた指導者に「いや、全然違いますよ」と全否定された(笑)。まー、そういうキャラではないのだというのは何となく前から気づいてはいたが・・・。いじられキャラに近い部分があるのではないかと気に病んでいる。夜も眠れない。

 

イメージと実際のギャップ。これは誰にでもどこにでも存在するだろう。「東京オリンピック」のマラソンが東京から札幌に変わってしまった。北海道のほうが涼しいというイメージはある。が、8月であれば北海道も暑いらしい。暑い北海道というのは全くイメージができない。北海道は夏でも雪が降っているのではないか?というくらいのイメージ(北海道の方、すみません)。多くの場面で「思い込み」で判断しているんだなと感じる。

 

いや、本当にどうでもいい話。この手のことを真剣に考えています。やはり「根が真面目」なんだと思います。間違いない。

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ハロウィンの時の出来事

2019-11-08 | 陸上競技
今更ながら。ハロウィンの日のことを書いておきます。正直本当にどうでも良い話です。

10月31日、ハロウィンだそうです。基本的にこういう部分にはほぼ興味がないので。「trick or treat」「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!?」という感じでしたよね。ハロウィンの数日前にクラスの生徒が「もうすぐハロウィンですよ!」と言ってきました。何アピール?!(笑)

当日の朝、コンビニでチロルチョコを買うことに。良いオッさんがコンビニでチロルチョコを40個買うという姿を想像してください。笑えると思います。一箱に30個入っているようでした。40個買うだけなので2種類を20個ずつ。数を数えて買い物カゴに入れる。

これをレジで精算。これまた迷惑をかけます。店員さんに再び数を数えてもらわないといけません。朝のコンビニで大迷惑。「これ21個ありますよ」と言われる(笑)申し訳ない気持ちになる。普通のオッさんがチロルチョコ40個買ってるなーと思われたはず。恥ずかしい(笑)コンビニを出るときに「ハロウィン用のお菓子」を見つけてこっちにすれば良かったと後悔(笑)

で、一応クラスの生徒に「ハロウィンだからチロルチョコ買ってきたわ」という話をして一つずつ配る。ノーマルチロルチョコとミルクの2種類にしていましたが圧倒的にミルクの方が人気。配って回ると最後の1人の時に数が足りなくなる。やはりコンビニで40個数えて買ったのが合っていたのだと気づく。「21個ですよ」と言われたら「自分が間違えた」と思ってそれを信じる(笑)生徒は大爆笑。

結局1つ足りなくなったのでまた後でコンビニでチロルチョコ1つだけ買うというなかなかの恥ずかしさの中で買い物をすることに。大人なので他の物と一緒に買えば良かったのかも知れませんが財政状態の問題があるので(笑)。

本当にどうでも良いハロウィンの日の出来事でした。堅苦しい記事ばかり書いているので「普段の私」のことを。
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blogを書くことのリスク

2019-11-08 | 陸上競技

思うことを。

 

これまでひたすらblogを書き続けています。エネルギー切れが起きて数日間欠けないということはありますが、なんとか継続して書いていると思います。書き始めている頃はもっと「ラフな感じ」で書いていました。リンクを張るわけでもなく。学校名を記載するわけでも個人名を記載するわけでもない。それでも検索にかかる。結局個人が特定するに至っています。

 

毎回書くことですが、「blogを書く」ということには大きなリスクがあると思っています。考え方を示す。文字の羅列だけでそれを示すので本意ではないとらえられ方をする。私の性格を知っている人であれば「ワザと言っているな」とか「違う意味だな」というのが分かってもらえます。冗談で書いていることも多々あります。それでも「kanekoはこんな人物だ」を思い込まれている部分はあると思います。blogだけを見ると「めちゃくちゃ真面目な人物だ」と思われているのではないかと思います。正解です(笑)。

 

こうやって「考え方」や「感じたこと」を示すというのは上述のようにリスクがあります。「~についてこう考える」と記すと「それは違うのではないか」という意見が出てくる。blogを使って議論する気はありません。「考え方」や「価値観」の相違は埋めがたい部分だからです。それぞれが軸足とするものが異なるので「私にとって正しい」ものであっても「他者にとって正しい」と感じるかどうかはわからない。特に「考え方」については難しい部分がある。

 

あるものを食べて「おいしい」と感じる者もいれば「おいしくない」と感じる者もいる。「おいしい」と感じている者が「おいしいから食べてみてよ」とどれだけ言っても「おいしくない」と感じている者は「絶対に嫌だ」と答える。これは「食べ物」の話だけではなく「考え方」にも通じる。このblogを通じて「考え方の変化」を生み出そうとは思わない。「価値観」が異なればそこに対して議論することは平行線をたどるから。

 

「考え方」に対して「技術的なもの」は議論の余地がある。私自身がこうやってblogに「練習内容」や「技術論」「スプリント理論」などを書く。そこに対して「こう考える」という意見が出る。そこを突き詰めて話していくと面白いと思う。そして「リスク」というのは他の指導者に私自身の考え方を示す部分になる。全否定される可能性もある。まったく考え違いをしていることもあるかもしれない。その時に「あいつはダメだな」と思われる可能性もある。

 

しかし、それを恐れていたら何も書けない。「練習をしました」という内容になるだけでは面白くない。面白くないのは「私自身が面白くない」という部分。誰かに読んでもらうために書いているのかどうかは自分の中で微妙。考え方を文字にすることで頭の中の整理ができる。そのためにひたすらblogを書いている。

 

「同じこと」を言っていても視点が異なれば「違うこと」として捉えられる。私は加速局面でも「脚を前に送る」ことを重視する。ある指導者は「地面を蹴る」という意識で最初の数歩を走らせる。文字だけで見れば「真逆」になる。が、突き詰めて話してみると結構似通っていたりする。私が「脚を前に送る」意識で走らせるのは「蹴る」という言葉を使うことで「地面に力を加え続ける」という意識になるのではない亜kという部分から。これは表現が難しいが。重心移動を伴う膝の引き出しは「地面に力を加えないとできない」動きになる。重心移動がない引き出しは地面に力を加えることができない。

 

「地面を蹴る」という感覚ではなく「脚を前に送る」ことで「結果として地面に力を加えている」という話になると思っている。「地面を蹴る」という言葉だけではわからない部分がある。

 

スタートに関しても「一歩目を速く着く」という考え方と「一歩目で大きく動く」という考え方がある。これも一長一短かなと。速く着くために膝が開いてつま先を擦るような動きをする選手がいる。それは「速く着くため」の動きになるのか。私は「0スタート」からなので「一歩目は大きく動く」という部分を重視する。止まっている物が動き始めるためには「大きな力」が必要になる。動き始めれば慣性の法則で動き続けることが容易になる。だからといって「大きく動く」だけでは進まないので「5歩のリズム」を重視して走るようにする。重心移動が苦手な選手対しては「重心を大きく動かす」という意識をさせながら「一歩目を速く着く」という矛盾しているような話もする。


この手の議論の意味はあると思っています。繰り返しになりますが技術的な部分に関しては「価値観」とは異なるからです。それをblogに書く事は批判の対象になる可能性もあるのでやはりリスクがあります。不特定多数の人が見る事ができる。その中で「考え方」を示す事は矢面に立つことになります。


「価値観」「考え方」「技術論」「トレーニング論」など様々な考え方を含めて私だと思っています。このblogを続けていくためにはその辺りも示しておく必要があるかなと。私自身が私であり続けるために。綺麗事を書くためにこのblogを書いているつもりはありません。何かを示せば賛否両論あるというのも間違いない事実。


陸上競技関係者が見ているのかもしれません。全く関係ない人が見ているのかも知れません。競技に関心がない人はこのblogは「記号の羅列」でしかないと思います。「考え方」や「感じた事」を書く事はリスクがある。それでも書き続けたいなと。


20代の頃から書き続けているこのblog。自分史のようになっています。このblogを通じて知り合った方もいます。実際に会ったりすることも。直接「blog見ています」と言われるのはなんだか照れくさい。自分としては「裏表」ない方だと思っていますが「イメージと違う」と言われる可能性もある。そこまで気にして書いてはいませんが。


相変わらずまとまらない。記しておきます。

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