kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

走ることについて考える4

2019-11-27 | 陸上競技

前の記事の続きになるかどうか。

 

「走る」ということは本当にシンプルです。余計な動きをしない選手は速い。これは真理だと思います。小手先の技術をどうするのかだけを考えるのではなく、「根本」をどうするか。例えば「踏切が弱い」と言うような話になる。だったら踏切局面を強く意識すればいいのか。本当は「踏切」自体は「方向を変えるだけ」の動きだと思っています。その局面だけを強化しても結局うまくいかない。もっと別に要因がある。

 

脚の動きに関して。関東では「回す」ようなイメージがある気がします。これは私がそう思うだけで実際は違うのかもしれません。が、「回転運動」を意識するとどうしても「後ろで回る」気がします。本当は「身体の前で動かす」という部分ができることで「乗せる感覚」や「重心移動」が生まれやすくなる。足運びについてある場所で習ったことがあります。最初の部分は納得がいく。師匠から教わった部分と同じなので。そこから「明らかに回転運動になる」という「足運びのドリル」となっていました。「締めながら前に出す」というイメージで考えていたのが「締めてから前に出す」という動きになる。それは「現象」を追うことで「異なる動き」になっているのではないかという視点で見る必要がある。


動きを考えるとどうしても「目で追う」ことが増える。見た目の動きがどうなっているかを見続けてしまう。しかし、動き自体が実は「結果」だという視点で見ていけば「どこにポイントを置くのか」だけを考えられるのではないかなと思う。走りについて考えなければ選手に対して「最適解」を提供できないのではないか。


ここ数回の記事で書いているが「補強」の位置付けについても考えていく必要がある。「腹筋背筋」をする。どこでもやる補強。逆にやらないチームはないのでは?という話にまでなる。が、その「腹筋背筋」を練習で実施する意味がどうなのか。意味があるならやれば良いと思うし、意味がないならやらなければ良いだけの話。


取捨選択をする中で「本当に走りに必要な補強」は何かというのを考えていかなければいけないのでないか。「仕事率」の話を聞いてからしばらく考えていました。今やっている練習は様々な補強をします。何がプラスになるのか分からないという部分はあります。が、「絶対に外せないモノ」があるのではないか。


補強、実際やっている中で「負荷をかける」ことが主眼になっている部分がありました。しっかりと負荷をかければ速くなる。そういう思い込みがあったと思います。どこよりも補強を工夫してやっていくことで「速く走れる」と考えていました。それがある程度の結果につながっていると思います。基礎筋力自体はかなり上がってきています。


が、それで本当にいいのか?もっと工夫の余地があるのではないか。そう考えていた時にrknでの練習を見る。あの練習を取り入れるのではなく「うちの練習スタイルに合わせる」ことで今よりも「意味のある練習」にすることができる。これまでやってきたことを精選して「走るために必要な補強」を徹底しようと。


ここも表現が難しいのですが。これまでやってきた補強が「意味がなかった」とは思いません。しかし、もっとこだわってやっていく必要があるかなと。「地面に大きな力を伝える」「力を逃がさない」というベースの部分をどうするかを考えて補強をしたいなと。もちろん「身体を上手く使う」という部分と並行してやっていく必要があります。必要以上の筋肉はつけない。中身を詰める感覚の中でさらには「力を逃がさない」という感覚を磨く。


ここを徹底するだけで負荷は自然に上がってくると思います。常に走りを意識して補強をしていく。繋がりを明確に示す。そこができることで筋肉には大きな刺激が入ります。バランス良く鍛えていくことが求められますが、それだけではなく「力の発揮」に合わせた練習ができるようになるとそれが走りに出てくるのではないか。きちんとした補強をすることが「走りを作る」ことにつながっていくのだと考えています。


補強も走りも同じことなのかなと。「走り込み」が何を目指すのか。「こんなに走ったから強くなる」という精神的な支えにはなるのかもしれません。走練習の時に普段以上に走ったら「やった感」は出ます。キツくて最後にジョグレベルのスピードになったとしても「こんなに追い込んだんだ」という自分の中での満足感は高くなります。本数や距離で負荷をかけることで「やった感」が高くなります。それが本当に「速く走るため」につながっているかどうかは全くの別問題だと思います。


スピードが鈍った中で走り続ける練習。時として必要だとは思います。「自分の中の殻を破る」という機会は必要です。「できるはずがない」と思っている練習であってもそれをやり切った時の達成感は大きい。みんなで苦しい練習をやっていったことが「良い思い出」になると思います。精神的な部分はあるのかなと。「満足感」「達成感」は獲られる。時として必要だと思います。


が、普段の練習の中で毎回その手の練習をすることが本当に「速く走るため」に繋がるのか。疑問があります。高いスピードを出さない練習の中で最大スピード向上を狙う。それは変な話ではないか。そうであれば「速く走るため」に本当に必要な練習をするべきではないか。補強も走練習も全てはそこに集約されなければいけない。


だからこそ「突き詰めてやっていこう」と考えています。補強とスプリントを組み合わせる。必要な要素を抜き出して徹底的にそこを鍛える。「地面に大きな力を伝える」ために必要な筋群を強化してそれを上手く使えるようにする。伝える力の方向を定める。伝えた力を逃がさないように固定する。ここにこだわって練習のを組み立てることで「走る」ことだけではない部分で「速く走るため」の動きを身につけられるのではないかなと。


考えることで自分の中である一定の方向性が見えてきました。これまでの流れをずっと遡って見ることで「自分の中に足りないこと」に気づくことができた。誰にでも効果のある練習というのを見出していかなければいけない。普通の選手が全国で戦うために何をするか。「県で勝ちたい」という話ではないと思います。現在県で一番の選手がこれからも県で一番で満足するような指導は絶対にしたくはない。もっと上で戦える。そう思ってやっていこうと思います。


やっていることはこれからも書いていきたいなと思います。抽象的なことを書いているので分からない部分も出てくると思います。可能な限り画像を残していこうかなと。幸い「速くなりたい」と思って練習に参加してくれている選手がいます。こちらがやろうとしていることに対してきちんと理解してやってくれる者が何人かいる。それに応えるだけの努力をしていきたいと考えています。


しっかりとやるべきことをやりたいと思います。訳の分からない話を書き続けました。結構本気です。「周りと違うこと」をやるという部分を目指しているのではない。本当に必要だと思ったことをやろうとしているだけです。やるべきことをきちんとやれば「走りは変わる」と思います。全力でやります。

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走ることについて考える3

2019-11-27 | 陸上競技

少し話が変わるかもしれませんが。思うことを。

 
走っていると目に見えて気になる動きが出てくる。ここについてその場面だけ修正しようと思ってもなかなか治らない。そこに対して「対処療法」のような対応をしても根本的な問題が解決しないので動きは変わらない。
 
顕著な例が今うちにいるHoの走り。なかなか独特です。膝が開き気味になって上半身がローリングする。体幹が弱いからとか肩を振ってしまうからとか様々な指摘があります。ここは難しい部分です。走りの中で修正しようと思ってもなかなか変わりません。正確にいうと「ほぼ変わらない」のです。そのこともあって「走ること」について考えているというのもあるのですが。
 
不器用な選手なので指摘した部分がすぐに改善できないというのがあります。だからこそ短期的な変化ではなく長期的に見て走りを修正していければいいなと考えていました。コツコツできる。入学当初は14秒5くらいかかっていましたが秋のシーズンには12秒台へ。ある程度の成績は残せたのかなと。が、走りの部分としては体幹のブレは治りませんでした。
 
色々考えてみる。性格的に走りながら動きのことは意識しているはずです。「意識が足りない」という部分を指摘されるのかとしれません。いやいや、かなりやっています。それでも目立った変化がない。そこには明らかに別の要因があると感じていました。
 
元々膝が内側に入り内股のような状態になっていました。内転筋が弱い部分もあるのだと思います。そこに関してはかなりやってきましたが改善ができません。もちろんですが走る中でそれを修正することを目指していますができません。複雑な動きの中で何をするのかという部分。
 
冷静に「力の方向」について考えて見た時に「足首の方向」は重要な要素だと思います。内股になり爪先が内側を向く。そうなると地面に伝えた力は進行方向ではなく外側に向かっていく。走りたいのは真っ直ぐ。それなのに力の方向は外に向かう。地面に伝えた力が外方向なので進む方向は真っ直ぐではなく内側に向かっていく。
 
それを修正するのが上半身なのだと思います。スタビライザーのような機能を果たしているのではないか。力の方向がズレているのでそれを真っ直ぐの方向に軌道修正する。だから体幹を鍛えても身体を保つ意識をしても「上半身のブレ」は治らない。根本的な問題を改善しない限りは上半身は保てない。
 
「前に進んでいるのだから良いのでは」という考え方もあると思います。しかし、明らかなロスです。10伝えた力を進行方向に10伝えられていない。それでも12秒台に入ったのであれば問題ないというのか、いやもっと行けるというのか。ここは価値観だと思います。私は「本当はもっと速く走れる」と考えます。
 
そうであれば「走りながら修正する」というのは不可能。根本的な「内転筋の弱さ」と接地した時の足首の方向を速い動きの中で改善するというのは難しくなる。そうであれば「走る」前の段階でそこを修正していく必要がある。短期間ではできないと思います。一冬かけてそこの部分を徹底する。「走る」という練習以外の部分でここを矯正していかなければ変わらないだろうなと。
 
地面に大きな力を伝える。伝えた方向を変換する。そこには「縦の力を横へ」という部分があります。それだけではなく「真っ直ぐ進む」とあうのも重要な要素だと思います。爪先の方向が進行方向を決める。そうであればこの部分は絶対に修正しなければいけない。かといって「走る」という行為の中でそこができるのか。
 
単純に「爪先の方向を真っ直ぐする」という意識でやったからといってそれは改善できないと考えています。骨盤の傾きや股関節の筋力、内転筋の強さ。この辺りが複雑な絡み合って「接地局面」が作られる。「意識したら治る」という部分ではないのかなと。
 
「意識」と「現象」。「原因」と「結果」。上半身がローリングするというのが「結果」でればその「原因」を発揮ししなければいけない。「結果」だけを修正しようとしてもその前段階に「原因」があるのだから修正はできない。「ローリングしないようする」という「意識」で走ったとしても一番の「原因」が改善できないのであれば変わらない。
 
ハードルは抜き足が円運動をします。リード脚は直線的に動きますが抜き足はどうしても方向が異なる。それをコントロールするために上半身が回転運動をするようになる。体幹を強化することでそれを補おうとする。強い選手になれば抜き足がかなりコンパクトになります。大きな円運動で抜き足を持ってくる選手が少なくなる。「上半身のローリング」を抑え込むため「体幹を鍛える」だけではなく「動きそのもの」が効率化していくのだと思っています。
 
ハードルでの上半身のローリング。これは競技特性上仕方ないことだと思っています。これも「走りながらコントロールする」部分も必要ですが「抜き足の改善」によって「結果」として最小限に抑えることができるようになるのではないか。そう考えています。技術的な修正が走り自体を変えていく。
 
一連の動きの中で「局面」だけを抜き出して何かをしようと思うと無理が来ると思っています。連続写真の「一場面」を抜き出しても改善できない。その前の段階に明らかに「原因」があると思います。そこを改善していくことが「結果」としてそれぞれの「局面」の変化につながる。
 
分かりにくいですね(笑)。だからこそ自分の中で整理をしたいと思っています。大丈夫。正常運転です。大丈夫。
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