どこまで書くのか・・・。読者の想いはほぼ無視して自分が感じたことを書き続けています。どれだけの人が興味を持っているのかは分かりません。そして申し訳ないのですが「私には関係ない」と思っています。元々そういうスタンスで書いているblogですから「読者受けする」必要性はないのです。アフィリエイトで閲覧者が増えれば収入があるというのであれば必死に「受け入れられる」ことを書きますが(笑)。残念ながらやっていません。
「正しいものは正しい」という部分。この辺りの話も聞きました。大学生や社会人になって走れなくなってくる選手が出てくる。これは「仕方ないな」と感じていました。練習が云々ではなく「環境への慣れ」もあるでしょうし。大学に進んで故障をする部分が出てくる。この辺りはどうなのかなと。
高校時代、「基本」をしっかりとやっている。それが大学になるとその部分が不足してくる。腕振り一つにしても「丁寧に基本を確認する」ということがなくなります。大学の練習の中で「丁寧にやる」という時間が確保できないからかもしれません。大学を否定するというわけではなく「一般的な意見」として書いています。使うべき部分がきちんと使えるようにしていく。その時間が作れないため「基本が疎かになる」という部分。本来であれば各自がそのことを理解して取り入れていけばいいのですが上手くはいきません。
sbt先生が言われる「正しいものは正しい」という話。それは「どのカテゴリーであってもやるべき根本は同じ」ということだと思います。「腕振り」はきちんと真っすぐ振りましょうというのは誰もが同じ。真っすぐ振る意識があっても結果的に触れない可能性はある。だとしても振れないから「横振りでいい」というのは違う。接地や関節の固定などはどの年代であっても変わってはいけない部分なのかなと。
自分たちでやるようになるとどうしても練習が偏ります。「良い」といわれる練習がどんどん広まっていき、誰もがやるようになる。革新的な動きであればそれがもてはやされる。rknの練習自体はきっと10年以上前から変わっていないのだと思います。「シンプル」になっているからこそそこに行きつける。その中には「絶対に外せない練習」が必要になってくる。
1m間隔でミニハードルを50台並べる練習。これはかなり難しいと思います。kry選手が10秒01を出した時にマスコミが飛びついて大々的に放送していました。最後まで動きを維持してやっていくというのは簡単ではなりません。しかし、この「1m間隔50台」は見ていて「すごいな」と感じる。だから「1m間隔50台」をやろうという指導者も出てくるのだと思います。
が、これは「基本」ではない。その前段階があってその中でやっている練習だと思います。「1m間隔50台」が出来たことで100mが劇的に速くなるというものではない。目に見える部分とは異なるというのを認識しなければいけないと思っています。一時期流行った「なんば」も同様かと。それをやれば速く走れると考える。古武術の考え方から導入されていると思いますが、これも「基本」ではない。見間違えないようにしたいですね。
rknでやっている。これだけで万人が興味を持つのではないかと思います。「何をやっているのか」と。「どんな練習をしているのか」と。タイヤ押しやソリ引きをやっていました。これはある意味「一般的」な練習です。ハードルドリルもメディ投げも。サーキットもウエイトも「特別な練習」ではないと思います。これ自体が「基本」というものではない。「強いチームがやっているから自分のところも導入する」という考え方では「本質的なもの」を見失ってしまうのではないかと思います。そこに「基本」や「真理」はない。
正直、rknの練習をうちの学校でやろうとは思いません。というか「できない」のです。色々な条件が異なるので「強いチームがやっている」からそのまま自分の学校でやればいいという話ではないと思っています。これはkbt先生も同様でした。今回の訪問のテーマは「何が大切か」を見てきたい、肌で感じたいというものでした。衝撃的でしたが(笑)。ある一定水準以上の競技レベルと競技に対する意識、競技に対する「考え方」が揃わなければできないと思っています。
うちの選手がそのままの練習をしたら全員速くなるのかというとそれは絶対にないと思います。もも上げ一つをとっても今の選手にはできない部分がある。そのもも上げができるようになったら速くなるのかというのも違うのかなと。そこには「重視すべき考え方」が存在する。そこを外して考えても競技力の向上にはつながらないのです。
だから今回はひたすら「観る」「聴く」という姿勢でいました。「狙い」をはっきりとさせて自分ならどうするか。自分が預かっている選手に対してどのように還元するか。ここも考えさせられました。「フリー練習」の部分に関しても今のうちの状況には合わないのかなと思います。伝統がないという部分と「競技と向き合えているかどうか」という部分がります。そうであれば「指導スタイル」を大きく変えていく必要性はないのかなと。
「正しいものは正しい」のです。それがどの段階においても正しいものでなければいけない。「速く走るため」に何が必要なのか。そこを考えていく必要があるなと思っています。「取り組みの姿勢」は「速く走るため」に必要ないという考え方の指導者もいると思います。私はそうは思いません。「考え方」がしっかりとしていなければ何をやっても変化はないからです。
技術を身に付けようと思っても「別にそこまでしなくてもいい」と思っている選手にとっては「やればいい」という段階で終わってしまいます。「必死に何かを習得しようとする姿勢」は「1点でも多く点を取りたい」という考査に対する姿勢と通じるものがあります。「少しくらいいだろう」という考え方は「今日は面倒だから日誌は明日書けばいいや」という部分につながる。結局は「練習場面」だけではない。
rknの選手、ミニハードルを並べるのが尋常ではなく早い。「メジャーに線を引いているんですか?」と聞くと「何もしてない」とのことでした。練習の流れを理解したり「次に置く場所はどこだ」というのを分かっている。効率よく練習を進めていくために「次を見越す」ことができます。それは「先輩の行動を見ながら学ぶ」のかもしれません。または自分で判断して行動することなのかもしれません。
ある一定水準に達するまでは「指導」が必要だと思っています。その部分ももう一度確認できました。そして「例外は存在しない」という部分。高校記録を出した選手であっても「同じこと」を「正確にやる」という部分。特別扱いすることはない。「自分はこっちがいいから」という勝手な行動は許されない。ここも「学ぶべきこと」でした。
まとまりません。多くのことを学んだのは確かです。そしてこれからの方向性と「徹底するべき部分」を確認できた。「練習にはエビデンスが必要」ということ。何度も言い続けていますが「意味のない練習はしない」という部分です。もちろん何が走りにつながるかという絶対的なものはないと思っています。それでも「走れば強くなる」「補強をすれば強くなる」という幻想からは抜け出さなければいけません。
貴重な経験でした。また書けたら書こうと思います。今回のチャンスを下さったkd先生、多忙の中訳の分からない相手をして下さったsbt先生、一緒に異なる視点から練習を見てくださったkbt先生、分からないことに対して補足説明をして下さったmtm先生には心から感謝いたします。今回の機会を選手に還元していけたらと思います。勉強になりました。感謝。