kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

練習の精査について4

2019-11-29 | 陸上競技

続きを。

 

練習を振り返っていく。その中で見えたこと。「練習の単純化」の必要性です。基本的に難しいことをやっているつもりはありません。mtm先生も言っていましたが「シンプルイズベスト」なのです。が、実際に目の前の選手を見ていて「単純化」することが本当にできるのかどうかというのは感じています。今のうちの選手には「やりたいこと」を明確にしてそれを「様々な形」で落とし込んでいくほうが良いのではないかと。

 

その日の中で課題を決めていくことが重要なのかなと感じてはいます。これまでの流れとして・・・

 

バランス系→DM投げ∞→セラバンド補強→ハードル股関節→台ドロップ→スイッチング ミニハードル→スイッチングラン→スタート5歩練習→前半マーク→TDM走→走練習(120-120-90)→スイッチングラン(タタタ)→合流走→走練習(120-120-90)→TDM走

 

こう書くと「雑多」な練習をしているなと思います。必要なところに刺激を入れる。そこから走る。この部分は変わりません。しかし、やることが多すぎて「ぼやける」というのはあります。

 

補強→動きの基礎→前半→中間→スプリント→補強→中間→スプリント→中間

 

こんな感じで多くの要素を配置しています。練習の中に「走るための感覚づくり」を複数混在させている。それにより「感覚」をつかむことができると。TDMであれば最初はT走をして進みにくい状況を作る。次にDM走をして前重心にする。最後にスプリントで短い距離を走る。「物理的な感覚の変化」を作り出すことで走りを組み立てようとする部分がありました。

 

スピード練習をする。さらに長めの距離を走る。そして補強をして中間の動き。こうなるとどこに焦点が当たっているのか分からなくなります。「感覚の変化を生み出す」ためにやっているのは確かです。が、こうなると考えること多すぎる。そのため「やること」で精一杯になってしまう部分も出る。練習メニューを消化すること自体が「目的」に擦り替わってしまうのではないか。

 

もっともっとやるべきことを明確にする必要があるなと感じています。「地面に大きな力を加える」というのが最大テーマであればそこがきちんとできなければいけない。それは身体の使い方にも影響してきます。「固める」感覚も必須。やっている方向性は間違っていない。が、もっともっと正確に単純化していく必要がある。やるべき動きは「どの練習でも同じ」という部分から始まってそれをすべての動きでやっていく。

 

「良い動きをする」ということが狙いであれば「使い方」や「力の発揮の仕方」がきちんとできれば結果的に「良い走り」になる。「走る中で動きを作る」のではなく「予備負荷」として「必要な動き」を徹底する。走りながら「地面に大きな力を伝える」というのは難しいと思うので。「必要な動き」ができれば自然に「地面に大きな力を伝える」ことができるようになる。これが「結果」という考え方だと思います。「地面に大きな力を伝える」ことを考えて走りながらそれをするのではない。前段階が重要。

 

思い切って「前半の練習」であればそこに特化する形のほうが「焦点が明確になる」と思います。「補強」をワンクッション置くこととして考えるのであればその前までは「加速段階」中心に考え「補強」をしてから「中間」をやるというほうが「シンプル」になる。もちろん、今のスタイルを完全に変える気はないので「加速段階」ならその「覚え方」が変わっていく。毎回同じメニューで作っていくというのではなく「刺激」を変えながら「同じことをやる」という意味です。

 

どうしても「詰め込み」になってしまう。それを自分の中で認識することで「削れる」のではないかなと。性格的に「全部やりたい」のです。もちろん、全部できた方が良いのだと思います。時間が無制限で体力的にも常にフレッシュな状況でできるのであればそれが理想なのかもしれません。が、実際はそれができない。

 

そうであれば「ポイント」を明確にする必要がある。常にその「ポイント」が習得できる形の練習を実施していきどの動きの中でも「ポイント」を意識すればいい。これまで「膝の引き出し」をかなり重視してきました。これからも変わりません。しかし、単純に「膝を出す」ことだけを考えれば「反発」云々は「ぼやける」と思います。本当は「膝は出てくる」という感じかなと。きちんと「反発」をもらってそれに対してタイミングを合わせることで「膝が出てくる」のではないかと。

 

これまでは「膝を出す」ことが「狙い」になっていました。走りの中で「膝を出す」から進む。もちろんそれは「結果」としては正解だと思います。膝で引っ張ることが出来なければ重心は進みません。が、「膝が出れば進む」のは違う。「脚だけ動く」ことになって前方向に進んでいないということが生まれる。

 

ここは「地面に大きな力を伝える」という要素が抜けていたのではないか。更に伝えた「力を逃がさない」部分とその「力の方向を変える」ことができていないから「重心が動かない」という現象が起きるのではないか。大きな力を加え、それを逃がさず、方向を変えることができれば勝手に前に進む。そう考えています。

 

「膝を引き出す」というのは前に挙げた要素がきちんとできれば自然とできる。狙いが「膝を出す」ことに偏っていた気がします。膝を出すためにどのような練習をするのかという話になっていたかなと。「走ること」が大きな目標ではありません。「速く走る」ことが狙いです。そこに着目して考えていくと必要なことは見えてくる。

 

「シンプル」にする。それは「狙い」を明確にすることです。断捨離をするほどまだ自分自身に確信は持てません。しかし、これまでやってきた練習の中で「ぼやけている」と感じる部分はその「狙い」を明確にして組み立てなおしたいと思います。

 

「流れ」を大切にしてきました。TDMであってもT走→DM走→Sという感じで1本ずつ感覚の変化を作り出すことが「変化」を感じ取るためには必要だと思っていました。しかし、それよりも「T走3本」「DM走3本」「S2本」のほうが徹底できる。TDMを2セットやることを考えるのであればやはり「動きを徹底する」ことが重要になるかなと。

 

時として「回復力を高めるための練習」を「技術練習」と別に入れていこうと思っています。普段の練習は全てが「技術練習」だと思っています。「速く走るため」に必要な部分の徹底です。が、それだけでは勝ち上がっていくことはできません。多くの学校ではこの部分が「混在」していると思っています。「速く走るため」にやることと「ラウンドで勝負する」ことは別の話です。そうでれば「走練習」でセット走のように休息をとってやっていくことの意味も出てきます。

 

もし「回復力を高めるための練習」をするのであれば色々な方法を考えていく必要がある。近畿地区とは色々な意味で違います。ハイアップのような練習も近畿を勝ち上がっていくためには必要だと思います。そこの部分の重要度と「速く走る」ことの重要度。今のうちにとってどちらが大きいかを判断する必要があります。

 

まだまだ完全に「練習を精査する」というところまではいっていません。ある程度のところまではできていると思っています。これをもう少し時間をかけながら考えていきたいと思います。「今まで通り」ではない。その場にとどまり続けることが一番安心感が得られます。しかし、それでは勝負するところまで届かない。本気で考えています。

 

まとまりませんが。残しておきます。

 

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練習の精査について3

2019-11-29 | 陸上競技

しつこいようですが。記録しておきます。

 

前の記事に練習が「ぼやける」という内容を書いています。一日の練習に多くのことを詰め込みすぎて「主たる目的」が「ぼやけている」のではないかという感じがありました。この感覚は分かってもらいにくいかもしれません。「色々とやる」ことがかえって「主たる目的」に集約されなくなっているのではないかという感じです。

 

誤解なきように書いておきます。「意味がない練習をしていた」というわけではありません。意味がない練習をしているのであれば競技力は上がりません。ある程度の走力が上がっているのは間違いなく「やりたい方向性」が間違っていないという証明だと思います。が、「よりよい練習」を目指すにあたってこれまでとは異なる部分にフォーカスする必要性があるのかなと感じたので。

 

1日の練習の中で「色々な要素を強化する」という部分がありました。加速段階も重要。中間も大事。さらには後半の部分の対応も重要。結局「必要ない練習」がはないのです。練習の中にそれらをはめ込んでいくと「全てをやる」という感じになってしまいます。そのため「練習時間」が長くなってしまう。そして「その日の主眼」が多くなりすぎてしまうために選手が「ポイント」を意識しにくくなるのかなと感じました。もっと工夫する余地がある。

 

「色々なことをやる」というのには2つの意味があると思っています。本当に「色々なことをやる」部分。これは「鍋料理」のようなイメージでしょうか。一つの鍋に様々な具材を入れて一度に似る。料理としてはおいしいと思います。ベースになる「だし」があってそれを様々な具材でより深いものにしていく。最後にご飯を入れて「雑炊」にするとこれはおいしい。が、結局具材の中で「メイン」が良く分からなくなる部分が出てくる。ひたすら「メイン」を食べ続ける鍋はないので。

 

私が計画する練習は「色々なことをやる」部分があります。鍋料理に近い部分があったのかなと。「幕の内弁当」を目指しているという話をしてきました。色々な要素を「少しずつ味わう」ことで飽きが来ない。それはそれで大きな意味があると思います。「牛丼」を毎日食べるのとは違います。「バランス」良く配置していくことで力が上がっていきます。

 

しかし、「幕の内弁当」は完全に区分けされています。それぞれの料理をおいしく食べるために「仕切り」があって別々に味わえる。それが最大の長所。が、そこを大切にしてきたのですがこうやって振り返ってみると「ぼやける」という感じがしました。

 

そうであれば「コース料理」のほうが良いのかもしれない。コースは「テーマ」が決まっていてその「テーマ」にそった料理を提供する。「ふぐ」ならその味をしっかりと味わうための料理を出せばいい。料理方法が違うだけで「ふぐ」を出し続けることで最後まで「テーマ」をメインに置くことができる。

 

料理の話になって何の話か分からないですが(笑)

 

これを実際の話に置き換えてみる。これまでは「いろいろなことをやる」という中で力を上げていく形でやっていました。それは重要なエッセンスだったと思います。色々なことをやる中で様々な力を上げていくことができる。それがレベルアップにつながる。もちろん「狙い」があってやっています。技術的なことはかなりやっています。しかし、多くのことをやることでその「狙い」自体がぼやけてしまっていたのではないかなと。

 

そうであれば「ポイント」を明確にしてそれを徹底する。同じ形でやるのではなく「やり方」を変えながら「同じポイント」を徹底する。練習の中に「速く走るため」に必要な要素を落とし込む。走る量ではなく「動きの徹底」を全ての練習に入れていく。そうなれば自然と「やるべきこと」ができるのではないか。

 

「縦の動き」「地面に大きな力を加える」「力を逃がさない」「力の方向を変える」という要素。これを徹底する部分が必要になる。これをいかにして「走る以外の部分」に落とし込むか。そこをやるために「練習の精査」をしたという感じがあります。

 

もっとシンプルに考えていくと「地面に大きな力を加える」ことと「力を逃がさない」ことがメインでそれをするためにどのような練習をしていくか。そこに尽きると思います。これを補強の段階から徹底的に意識する。それが実は走りを変えていくことにつながる。これまで「補強」と「走り」を繋げていくことを考えてきました。その組み立てもできるのではないかと思いますね。これが「コース料理」なのかなと。「やりたいこと」を様々な形で落とし込んでいく。その方法が異なっていくという感じだと思います。

 

量で追い込むというのではない。「繰り返しやる」というだけでもない。「目的」を明確にして「徹底する」ことが必要になる。こちらは「深い理解」をしながら選手に提供するのは「やるべきこと」だけにする。「任せる」形ではなく練習に中に置いて「ポイント」ができるかどうかを見続ける。そうすることで大きく変わってくるのではないか。そう感じています。

 

まとまりません。また書きます(笑)。

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練習の精査について2

2019-11-29 | 陸上競技

続きを。もっと早く続きを書こうと思っていたのですが。なかなか時間の確保ができなくて。練習の振り返りに加えて放課後は1時間程度の練習。さらに勉強会。勉強をされるのですが中には危機感が全くない者も。この期に及んで寝ます。置かれてある状況を理解することができていない。

 
練習の時にもしつこく言います。「教えて出来ること」と「自分んでやらなければいないこと」があります。やらないといけないことがあると言い続けますが、本人がそこに対して「やろう」と思わなければ絶対に変わらないのです。本当に私がそこまでやる必要があるのか。大いなる疑問はあります。
 
で、本題。合間を見つけて練習メニューの精査をしてきました。今の時点で令和元年8月末まで。一つ一つ見ていくのでかなり時間を要します。それでも今やっておくことが私自身の指導にとって必要不可欠だと。細かい内容まで見ることはできませんが「その日の流れ」は確認できます。
 
重なっていないメニューを抜き出してやっていくとかなりの種類になります。何回かやっていく中でブラッシュアップされてメニューが変更されている部分もありました。極力グランドで練習を見ることにしています。その都度感じたことをしっかりと生かしていく。
 
が、強く感じた部分がありました。「練習がぼやけている」という部分。これはなかなか分かってもらえないかもしれません。これまで色々と考える中で「走るために必要なメニュー」を考えてきました。それぞれについてはある程度の成果を上げてきたかなと感じてはいます。様々な動きをしながら走るための感覚作りをする。
 
が、1日の練習の中に「多くの要素を詰め込みすぎている」というのが明らかでした。「俯瞰」して自分自身が考えていることをを客観視する必要があると思っています。が、やはりメニューを作る時には「あれもこれもやりたい」という気持ちになります。飽きさせないことも視野に入れながらあれこれやっています。が、こうやって振り返ってみると「ぼやける」のです。
 
本当は「加速段階」の練習がメインだったとする。ここに関してはかなりのことをやる。本当はそこだけに焦点を当ててやっていけばいいのに「中間の動き」に関してもやろうとする。加速練習をしてその後にTDMなどを入れて中間の走りを作ろうとする。全ての要素を強化していく必要があるとは思います。しかし、今やっていることは「全部やりたい」というだけになっている。
 
更に走練習も。玉石混淆。色々な要素が入ってしまっています。誤解なきよう書いておきますが練習メニューとしてはかなり考えてやっています。単純に走るだけのメニューはない。本数を追うようなメニューもない。極力レースで力が発揮できる形でやりたい。同じ練習であってもここは考えてやっています。
 
が、走練習では140T-120-90-60のようなメニューがあります。これ自体が意味がないとは思いません。意図があって組み立てています。しかし、少しずつ形を変えながらこれを3セットやることに本当に「練習効果」があっただろうか。セットの形にすると「休憩時間」が生まれます。そうしないと走るスピードが落ちるので。が、「速く走る」ことを考えると10分ちょっとのレストで最大スピードを出す練習になるのか。
 
ここに関しては色々な考え方があると思います。最大スピードを出せない状況もあると思います。しかし、その前段階である程度の負荷をかけて「正確な動き」の中で走るのであればそれは「速く走る」ための練習になる。スピードレベルを落として追い込むことは目的が変わっていく。
 
そうならないように考えてやっています。それなのに気が付けば練習の後半に「目的があやふやな練習」が入っている。その部分だけを切り取ってみてみると「明確な目標」があるメニューです。しかし、一日のトータルで見たときにやはり「本当にこのメニューがここで必要か」という部分はある。色々な要素が入りすぎていて結果として「ぼやける」感じがあります。もっと「単純化」していく必要があるなと。この「単純化」という言葉が独り歩きするのは避けたいなと思っていますが。
 
この部分についてはもう少し書きたいと思っています。また書きます。
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