kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

rkn高校での修行6

2019-11-21 | 陸上競技

続きを。

 

sbt先生の話で印象的だった部分を書いておきます。

 

「狙い」を明確にする。シンプルな練習にする。これは私の指導の中に絶対的に不足する部分だなと感じています。詰め込みすぎて「やることが多くなりすぎる」という部分。前の記事にも書きましたが「それぞれの段階に合わせた指導」というのはあると思います。rknの練習は非常にシンプル。「狙い」が明確になっています。そこだけにフォーカスして取り組む。ブレがない。選手も「意識する部分」が分かりやすいので普段の練習でも進めやすい。

 

今の私の練習は様々なことをやるので「ぼやける」部分があるのかなと思います。「やりたいこと」があるのでそれを詰め込む。全体としての狙いはあるのですが、一日の練習に多くの要素を取り入れるので「目的意識が明確ではない選手」にとってはかなり分かりにくい練習になる。まーこういうタイプの選手は「やるだけ」になりやすいのでどういう練習をしているのかを理解していないので同じことなのかもしれませんが。

 

他の学校がrknの練習をそのまま導入して強くなるかどうかは別問題だと思います。ここは前の記事にも書きました。sbt先生が「ほかの学校がどのような練習をしているのか知らない」と言われていました。多分、他校の練習を見に行くことはないのだと思います。その必要性がない。「シンプルな練習」ですからほかの要素を取り入れることがない。「勉強する」こととは違う意味になります。「知っておく」というために色々な情報交換はされるのではないかと思います。しかし、それをやるかどうかは別。今やっている練習よりもシンプルになる部分があるかどうか。

 

多くのことを学ぶ。必要だなと思っています。しかし、「詰め込む」という部分から「そぎ落とす」という感覚を持つ必要があるのかなと。それは実際には「仕事率」という考え方につながっていくのだと思います。

 

「仕事率」を重視するといわれていました。「1時間なら1時間で何ができるか」を考える。「仕事量」を求めるのではない。質の高い練習ができれば間違いなく本数が少なくても負荷を高めることができます。が、「目的意識が明確ではない選手」にとっては「走るだけ」になってくるので単純に「本数が少ないから楽だ」ということになる。そうなると「負荷をかけるために本数を増やす」という形になる。

 

ここが悪循環を生むのだと思います。負荷が高められないから本数を求める。本数を求めれば「最後まで走る」ことが「目的」になってしまう。本来は「速く走る」ことが「目的」なのに「本数をこなす」ことがメインになってしまう。質の低い走りを何本も何本も繰り返すことになる。それにより「本当にやりたい動き」から遠ざかってしまう。結果、速く走れない。

 

だからこそ「仕事量」ではなく「仕事率」なのだと思います。限られた時間の中で何をするか。どれだけ効果のある練習をするか。発想を切り替えなければ「仕事量」を求める形になってしまう。近畿などで「2時間練習」になるのはこの「仕事率」を求めているからだと思います。「仕事量」を求めるのではない。その時その時に「本当に必要なこと」を判断していく能力が必要になるのだと思います。

 

これは「地方」で生活をしていると感覚的に見えなくなります。周りがそのような感覚で過ごしていないから。前から書いていますが「200m10本」というような練習スタイルが存在する。本数を負うことで「疲労感」が生まれる。それにより「しっかりと練習をした」という充実感を得ることになる。本来の目的である「速く走る」という部分とはかけ離れたことになる。これが「目的」が変わっているという事実になる。そのことに気づくことができるかどうか。

 

こうやってblogに書いている。上述のようなことを誰かに話して「理解」してもらえるだろうか。言っていることが「哲学的」な話になっているのかもしれない。しかし、これは「感覚」だと思う。本来目指すことの意味。

 

よくあるパターンが練習の最後に「走り込み」を実施する。何本も走ればやはり「やった感」は出る。そのことにより「今日はいい練習をした」と感じることができる。「満足感を得る」という意味では重要なのかもしれない。しかし、「速く走る」ことと「満足感を得る」というのは別問題だと思う。練習の最後に何をするかというので「指導に対する考え方」を判断できるのではないか。そう思う自分がいる。

 

「仕事率」と「仕事量」は全く別の概念。そこを理解して指導をするので近畿の指導者は優れているのだと思う。

 

sbt先生が「追い込めないから本数を追う」という部分に対して「そこまでやる前に飽和状態になっている」という表現をされていました。「追い込めないから本数を求める」という部分。10本走るとその途中で「お腹一杯」になっている。だから最後は惰性で走ることになる。「追い込めない」のであれば「追い込むための工夫」が必要になる。結局はそれだけの話ではないだろうか。そのことに気づかず「走れば強くなる」という考え方の中で指導をするのはやはり避けるべきだと思う。

 

「仕事率」を求めるという考え。考え違いをすると「本数を少なくすればいい」と思うのかもしれない。これも全く別問題。単純に「楽な練習」になるだけだから。自分の中で考えていきたい。そのヒントがrknにはあった。そう感じている。

 

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rkn高校での修行5

2019-11-21 | 陸上競技
今回日本屈指の強豪校であるrkn高校に練習見学に行きました。この経験は大きいですね。「修行」と書いているのは単純に隣に「東寺」というお寺があったからです(笑)本当に座禅を組んだりしたわけではありません。

福井国体の時にrkn高校で活躍したmym選手が山口県選手として参加してくれました。その時に話を聞いていると「書籍に書いてある通り」だと言っていました。本当は何かあるんだろうと思っていましたが本当にそのまま。DVDも出ているということですがそれもそのままだと。

sbt先生に話を聞くと本当に包み隠さず教えてくださいました。「こだわりはない」と言われていました。タイヤ押しで使うタイヤの重さやウエイトでの重さは「だいたい」だと。結局そこに「目的」はない。あくまで「手段」なのだと感じました。分かりにくい表現だと思うので私が感じたことを勝手に補足しておきます。

練習の中心は「速く走ること」です。そのために何をするか。この場で取り組みの姿勢などを話すことは皆無。これは「意識レベル」の差が大きい。我々はその前の段階で「競技に向かう姿勢」を作らないといけないのですから、練習に対する「時間の使い方」は大きく変わっていきます。当たり前なんですが。

「こだわらない」と言われていた部分。練習方法や使う道具はあくまで「手段」でしかない。ひょっとしたら我々に話されなかっただけで重さなどに対して細かく言われているのかもしれませんが。「手段」というのは他にも色々とあるのだと思います。「やりたい動き」がある。それを習得するために一番適しているのがその「道具」であるだけ。だから「こだわらない」という表現になるのかなと。

例えばウエイトに関しては「好きに重さを決める」という感じでした。セット数も重さも指示しない。話を聞いているとなんとなくその意味が分かってきました。結局、ウエイトは「手段」でしかない。ウエイトで何キロ何セットやるかは大切ではない。ウエイトをやって「筋力を上げる」のは「手段」であって「目的」ではない。哲学的な話になりつつありますが。

練習をしていたらどうしても「目的」がぼやけていきます。これは何度か書いていますがウエイトをやっていると「前よりも重いものを上げる」というのが「目的」に変わっていきます。「慣れてきたら重くする」というのはトレーニングの基礎です。しかし、いつのまにか「重いものを上げる」ことが「目的」にすり替わったしまう。これまで上がらなかったものが上がるようになると楽しい。だからいつの間にか「ウエイトをする」ことが「目的」になってしまう。重いものを上げようと必死になる。

rknの選手が「重さ」を追求していないかといわれると分かりません。が、そこに「目的」はない。重いものを上げることではなくそこには「技術を支える」という大きな「目的」があると感じました。あれだけ速いスピードで走るためには「支える土台」が必要になる。だからウエイトをしているだけであってウエイトをすることが狙いではない。

こだわらない。それは選手にも。ほとんどの選手が体育のジャージで練習をしていました。派手なジャージを着ている選手は皆無。このことをsbt先生に聞いてみると「こだわりがないから」と。Tシャツはrkn高校のシャツ。まーこのTシャツだけでブランドですから。伝統というのもあると思います。暖かくなって半パンになりましたがこれも体育のもの。何を着ていても練習をするのには関係ない。必要な所にのみエネルギーを使うのだと思いました。

こうやって見てみると「目的」があって「手段」がある。そこが徹底されているなと。他の練習との繋がりが大きい。全ては「速く走るため」に存在する。「こだわりはない」と言われていましたが「動きの徹底」に対しての「こだわり」はものすごい話だと思います。ここまで徹底的に「パワーポジション」を身につけさせるというのは。分かりにくいと思いますが練習の大半は「パワーポジション」で力を発揮するというために存在する。その姿勢を作るために何するか。

ウエイトもハードルジャンプも「固める」という一点を身につけるための「手段」でしかない。練習をやっているうちにいつの間にか「目的」が「手段」に変わっていくんだろうなという反省がありました。

そして圧倒的に練習がシンプル。選手が「ポイントはここだ」と理解しやすい。sbt先生曰く「断捨離」と。本当に必要なものを考えていった時に「不要」だと感じたものは全て削ぎ落とす。その中で残ったものだけを練習でやっている。だから書籍に示されている内容を普段からやっているという話になるのだと思います。

私の練習はパターンが多い。だからといって全て削ぎ落としてシンプルにしたら良い練習になるのか。ここはしっかりと考えなければいけないと思います。うちの選手にあったメニューというのがあります。シンプルな練習の良さもあれば「複合的な練習」の良さもある。純粋に「速く走ることだけ」を求めてできる水準とその前段階の準備が必要な段階とでは「やるべきこと」が違ってくると思います。

sbt先生が「rknだからできる」と言われていたことをきちんと理解しなければいけないと思います。うちの選手に全く同じことをさせたからといって「速くなる」というのは難しい。なぜなら「まったく同じこと」ができないからです。様々な要素があってそれが繋がっていくから今のrknの練習ができる。手と足が一緒になる選手に「身体を動かす」ことや「自分の身体がどうなっているか」を即座に判断させるのは不可能です。

エッセンスがどこにある。その練習のポイントがどこにあるか。そこを見極めていかなければいけないなと強く感じました。

まとまりません。また書きます。
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