あまでうす日記

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池澤夏樹編「日本文学全集16・宮沢賢治&中島敦」を読んで

2016-06-11 10:36:47 | Weblog


照る日曇る日第871回


 いったいどういう理由で「夭折」以外に共通項のない水と油のような2人をワンパックにするのか不可解なセレクションだが、読んでいるうちにそんな文句も消える。

 宮沢賢治では「春と修羅」「星めぐりの歌(楽譜付き)」などの詩篇に続き「水仙月の4日」「狼森と笊森、盗森」「土神ときつね」などの童話が並んでいるが、やはり最後の「ポラーノの広場」の感銘が深い。

 こういう中編をどのようにして終わらせるかについては私もいろいろ苦労してきたが、いちばん穏当なのは七五調の歌で終わらせることである。

「まさしきねがいにいさかうとも 銀河のかなたに ともにわらい なべてのなやみを たきぎとのしつつ はえある世界を ともにつくらん」

 という大団円を読んだ私は、三〇年前に書いた中編童話になんとか終止符を打てるような気がして、なんだか希望が湧いてきたのであった。

 後半の中島敦の巻では有名な「李陵・司馬遷」「弟子」の格調高い漢文脈に圧倒される。これが三三歳で夭折した作家の若書きにして最晩年の作品とは!

 どうしてわが偏愛の遺作「光と風と夢」が収められなったのかとても残念だが、そのかわりに日帝が南洋を統治していた頃の現地人を「土人」呼ばわりしてしまう無意識の偏見に満ちた滞在記が興味深い。

 彼ほどのインテリにしてこの差別、というより、当時のインテリゆえの差別意識なのだろうか。しかし彼が己を朝鮮人の警官に擬した「巡査の居る風景」は民族問題に対する鋭い社会意識が内含されているようだ。

 中島敦は一九四二年に喘息のために夭折したが、生き残っていれば必ず日本文学の正統派の旗手となっただろう。



  頭では新しさを受け入れているのだが肝心の身体の方が拒んでいる 蝶人

コメント
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