音楽千夜一夜 第368回
イタリア弦楽四重奏団のモーツァルトの「ハイドン・カルテット」を70年代の旅先で耳にしたときは、最初の一音で陶然となって、なぜだか涙が出て仕方がなかった。
ああ、これがモザールだ。これが四重奏曲だ。これが弦のほんたうの響きだ。
と確信できて、それは同じ頃に聞いたクーベリックのマーラーと同様にかけがえのない音楽体験となった。
その後同じ曲をいろんな機会にいろんな団体で聴いたが、みな駄目だった。
大好きな東京カルテットも駄目だった。鉄人アルバンベルクも、てんでお呼びでなかった。
それから幾星霜、いまではとっくの昔に解散したこの四重奏団がかつてフィリップス、デッカ、DGに入れた録音を順番に、それこそ粛々と聴いていくなかに、K387のその曲があった。
「春」という副題がつけられたそのト長調4分の4拍子のその曲の、冒頭のAllegro vivace assaiを久しぶりに耳にした私だったが、どこか違うような気がして、小首を傾げた。
それはまぎれもないイタリア弦楽四重奏団の演奏ではあったが、あの日あの時、あの場所に朗々と鳴り響いたあの奥深い音ではなかった。
それから私は急いでCDを停めて、そのほかのモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトなどがぎっしり詰め込まれている灰色の蓋をした黄色いボックスにそっと仕舞いこんだ。
半世紀近い大昔の、あのかけがえのない音楽と懐かしい思い出が、もうそれ以上傷つけられないように。
改憲の主張を封じとくとくと安倍蚤糞の成果を誇る日本のイトレル 蝶人