照る日曇る日第1002回
源氏物語の最大の問題は、「皇統紊乱」を軸にして物語が展開されていることではないでしょうか。
我らが主人公、17歳にしてビンビンの光源氏は、父桐壺帝の正妻である母、藤壺の宮を一度ならず二度までもヤッてしまうのですが、下司の極みが不敬行為を敢行したわけではない。
光源氏は臣下といえども、もとをただせば皇子、親王でした。高貴皇室トップ周辺の貴人ですから、厳密な皇統紊乱ではないかもしれない。だから正史には書かれないけれど、こういうことは在原業平の伊勢斎宮との密通同様、実際には宮中で何度もあったことかもしれませんね。
本書の解説によれば、源氏物語の「桐壺帝」は、宇多天皇の第一皇子の醍醐天皇、「朱雀帝」は醍醐天皇の第十一皇子の朱雀帝(同名)、「冷泉帝」は醍醐天皇の第十四皇子の村上天皇であるという。
朱雀、村上両帝の母はいずれも藤原基経の娘で中宮の穏子ですが、もしかすると「朱雀帝」の父親は醍醐天皇ではなかったかもしれません。
紫式部はどうやら藤原道長の愛人だったようだし、彼女の女主人である道長の娘、彰子は一条天皇の中宮ですから、おそらく当時の皇室、貴族関係者のすべてが彼女の小説の熱心な読者だったでしょう。
「朱雀帝」の父親は醍醐天皇ではなかった、ということを当代の人々はみんな知っていたが、そんな「畏れ多い」ことを「日本紀」などに遺すわけにはいかない。
いかないけれど、それはあまりにも有名な話なので、なかったことにはできず、それを小説、フィクションとして紫式部が源氏物語に取り入れてしまうことは、誰も妨げようとはしなかった、のではないでしょうか。
「皇統紊乱」などというと話が大きくなりますが、これあるがために「谷崎源氏」は、戦中の国家権力の検閲、圧力で削除の已む無きに至っている。
源氏物語の「皇統紊乱」の条が、自由に無条件で出版できるか否かは、今も昔も、私たちの表現の自由と基本的人権の有無を明かすリトマス試験紙のようなものなのです。
余談ながら醍醐天皇は、唯一人臣籍から天皇になった人物なので、それも物語の中の光源氏の位置づけのヒントになったのかも知れません。
「しっかり」とか「丁寧に」とか連発する人を私は絶対信用できない 蝶人