蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.273
第15回 告別式で会社同僚の自殺を悼む弔辞
黒田三郎さん、いま私はあなたの突然の訃報に接し、大きな悲しみとポッカリ穴の空いたような虚しい思いにとらわれています。
*1顧(かえりみ)れば、あなたと私が南海商事に同期で入社してからおよそ30年の歳月が流れました。それがあなたにとってどのような時間の積み重ねであったのか、今となってはもはや誰にも分かりません。
*2あなたはシステムひとすじ、私は総務畑でいっしょに仕事をしたことはなかったけれど、ウダツの上がらぬサラリーマン同士、月に一度は有楽町のガード下の焼き鳥屋で一杯やってささやかに憂さ晴らしをし合う仲でした。
*3黒田さんの最後の半年は、皆さんもご存知のようにまことに壮絶なものでした。
21世紀の勝組み企業にふさわしい
*4 SCMとEMCSをIT装備し、設計、生産、部品調達から、販売現場、流通、在庫管理までを最新鋭のコンピュ―ターシステムで一元管理するソフトウエアを3ヶ月以内に完成せよ、と会社から厳命された黒田さんにとって寧日(ねいじつ)はなく、休日もありませんでした。
早朝から深夜まで精魂傾けて働きつづけ、すべてを投げ打って会社に尽くしました。
この正月も、元旦に休んだだけでずっと会社でパソコン相手に設計図を描いていたようです。どれほどのストレスが彼の心身を苛んでいたことでしょう。猛烈な企業戦士でありながら、古武士さながら彼は決して弱音を吐きませんでした。
その誇り高い男らしさが、彼を取り返しのつかない悲劇に彼を追いやってしまったことを思うと、彼の近くにいた友人の一人として悔やんでも悔やみきれません。
*5しかし、彼はもはや我われの世界における戦いを終えました。
善戦健闘あっぱれよくぞここまで戦った、とわたしは掌が破れるような万雷の拍手を黒田三郎さんに贈ります。
人生わずか50年、夢幻の如く也、といいます。
確かに黒田三郎さんは、この世での50年の生涯を終え、彼の霊は、いま彼岸に向かって飛び立ちました。
しかし彼の生涯は決して夢や幻のように儚いものではありませんでした。
彼の真っ向から唐竹を断ち割ったような潔い生きざまは、永遠にリアルなものとして私たちの記憶に留まり、私たちが彼を想起するつど、彼は生者のように此岸(しがん)へと回帰するのです。
私は黒田さんと、このようにして、ずっとずっと末長くお付き合いを続けて参りたいと祈念しております。
○ アドバイス
1) 亡き同僚に対する弔辞である。弔辞は、他のあいさつも同様であるが、形式に顧慮する必要はない。個人を追悼する真心さえあれば、どんな拙い表現であろうとも聴衆の胸を打ち、遺族の悲しみを和らげてくれるのである。
2) 故人と話者との関係を明確にすることで、そのあとに続く文脈と心情の吐露を分かりやすくする。
3) 自死の背景を暗示する話者は故人の親友なのであろう。痛憤を交えた語り口は迫力がある。
4) CMは企業活動の川上から川下までの物流を一括管理する新システム。EMCSは製品設計から生産、顧客サービスまで一貫してがけるシステム。いずれも企業が争って開発導入を図っている。
5) 親友の死に対して、話者なりの解釈と受け止め、これからの生き方を思い切ってスピーチした点は新鮮であり、単なる言葉の羅列以上の踏み込みを感じさせる。
背走しまた背走しジャンプして逆シングルでキャッチした日よ 蝶人