あまでうす日記

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アントン・チェーホフ著・原卓也訳「チェーホフ全集第1巻」を読んで

2017-11-28 14:27:22 | Weblog

照る日曇る日第1009回



これは昭和36年に刊行された中央公論社刊チェーホフ全集の第1巻で、1880年から82年までのロシアの「たそがれの時代」に刊行されたアントン選手の若書きを、32編おさめてあります。

私は勉強不足で、チェーホフといえば「3人姉妹」や「桜の園」で有名な劇作家であると思っていたのですが、そしてそれはそれで間違いではないのですが、私が持っている「中公版チェーホフ全集」全16巻のうち、戯曲はたったの3巻で、書簡と伝記と「サハリン島」を除く大半は、ことごとく短編小説に充てられています。

だからというわけでもないのですが、チェーホフ選手は戯曲家という以上に小説家、しかも尋常ならざる面白さの短編小説作家なのでありました。ああ知らんかった。恥だった。

初期だけにかなり実験的な習作も含まれていて、例えば2番目の「小説の中で一番多く出くわすものは?」では、「伯爵、伯爵夫人、隣人の男爵、リベラリストの文学者、零落した貴族、外国人の音楽家、単純な召使たち、乳母、住み込みの女家庭教師、ドイツ人の執事、大地主、アメリカから遺産を受け取る男etc」、以下チェーホフ自身も世話になったことのある典型的な登場人物のリストがえんえんと続き、「最初に7つの大罪、そして最後には結婚」で終わっている。まことに才気煥発の文筆家であったことがわかります。

こういう軽妙な小品ばかりではありませぬ。
興に乗ってどんどん読みすすんでいくと、何度も映画化されたという「不必要な勝利」、お馴染み駄目ロシア人の心底をえぐった「生きた商品」、ああ堂々の構成を備えた波乱万丈の一大悲恋物語「咲きおくれた花」、などなどの見事な中編小説の秀作にぶちあたって、おお。これはこれは!とうならされてしまうのでした。

ところで巻末の原卓也氏の解説によれば、ロシア史上1880年代は「たそがれの時代」と称されているそうです。

バクーニン一派から分裂した過激派の「人民の意志派」が、1881年にアレクサンドル2世を爆殺したのですが、それ以降、ロシアの自由と民主主義は消沈し、すべてが絶望と沈滞に閉ざされた。

そんな本邦の昨今にちょっと似た状況の中で、チェーホフ選手の作品を深夜ぼちぼち読んでいると、なにか胸に迫って来るものがあります。



   曇天に北風吹きて胸重し嗚呼この国も「黄昏の時代」か 蝶人
コメント
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