あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」No.14

2017-11-20 10:48:57 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.273



第14回 交響楽団の後輩の病死を悼む芸術監督の弔辞


僅か33歳で身罷(みまか)ったピアノの名手ディヌ・リパッティ、35歳でウィーンの土となった作曲家のモーツァルト、そして39歳でパリに客死したショパン……いずれも夭折の天才ですが、若干26歳はいかにも早すぎる。若すぎる。

神様、どうして弦の国ニッポンが生んだ不世出のヴァイオリニスト天地龍太郎をかくも短期間で天に召されたのですか?

*1花も実もある未来の大演奏家として生育しようとしていた美しい栴檀(せんだん)が、香しい双葉の時期に無残にも手折られてしまった悔しさと無念の思いがいまも私の胸から消えません。

*2天地龍太郎は、1975年に長崎に生まれ、上京して東京藝術大学音楽部でヴァイオリンを専修、1997年からブリュッセルの国立音楽院に入ってイザイ、デュボア、アルチュール・グリュミオーゆかりのフランコ=ベルギー派の優れた伝統を身につけ2000年の夏に帰国し、ただちに我が「湘南カンマームジーク」のコンサートマスターに就任いたしました。

*3そもそもわが国の弦楽器教育は、まずは「型」から入る技巧中心の教育法が主流で、そこから、正確無比に指は回るが肝心の音楽には不感症、という日本人の演奏家特有の欠陥が生まれました。首席指揮者の私とコンマスの天地のコンビは、技巧は2の次、3の次、心で感じる演奏だけを心がけて参りました。

その結果が徐々にあらわれ、神奈川県のみならず、関東全域のクラシックファン、古楽器ファンの好評を博していた矢先でした。ヴュータン、ルクー、フランク、ラベル、ドビュッシーなどの演奏にかけては右に出るものなしとの高い評価を得て、天地龍太郎の名声は日の出の勢いで隆盛を極めつつあったのですが、突然の病魔には勝てませんでした。

お医者さんの話では、喫煙とスポーツを好む長身痩躯の若者が何かの拍子で自然気胸に罹り、突然死に至るケースがままあるようです。

演奏の傍ら登山とマラソンを楽しみ、1日50本のヘビースモーカーであった天地君の悲劇が二度と繰り返されないことを祈るとともに、私どもは、夭折した天才が果たせなかった新しい課題、すなわち技能や形式主導の演奏を廃し、

*4かのヴェートーヴェンが願った「心より心へ」通ずる演奏術をさらに極めて参りたいと思います。

*5さようなら、龍太郎。どうか天上でこれからの私たちを見守っていてくれたまえ。


○ アドバイス
1) 愛弟子を失った先輩指導者の哀惜の念が思わずほとばしり出る無念やるかたない弔辞である。「栴檀は双葉より芳し」とは、香木であるビャクダンは発芽の時から早くも香気があるように、大成する人物は幼い頃から衆に抜きん出ている、という意味のことわざである。
2) 故人の来歴が簡潔に要約して紹介される。フランコ=ベルギー派は現代では少数派である。
3) 西洋古典音楽の後進国としては、ある意味ではやむを得なかった手法であるが、実際多くの識者から指摘されている欠点である。天地龍太郎は、ある意味では高機能かつ無個性なグローバルリズムの演奏との戦いに短い生涯を捧げたと言えよう。
4) 「心より出でて、心に至らんことを」――晩年の傑作『荘厳ミサ曲』の楽譜に楽聖自らが記した言葉として有名である。
5) 万感胸に迫れば、惜別の言葉はおのずから二人称になる。


   創業者急死して内紛続くという大戸屋にて昼食を取る 蝶人

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