照る日曇る日第1010回
このたび恵贈にあずかった「暮しの手帖」の今月号の目玉は、なんと敬愛する奥村晃作氏の人と作品の特集「暮らしの短歌」でした。
庭でバットを振り、居室でギターをつまびく今年81歳の歌人の近影に挟まれて、氏の「ただごと歌」の代表作50首が紹介されています。
ゾウを見てゾウさんと呼びトラを見てトラさんとふつうの人は呼ばない
死ぬほどの勉強オレはしたからに東大受かった三十年前
「ただごと歌」とは、なんでもない事柄を詠った歌で、その根本は「心の短歌」、「生命の歌」である、と氏はいいます。
海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここに在るのかと
犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの
人間は絶えず外界に触れて五感が、心が動いている。その五感が捉えた事柄をちゃんと観察して写し取る。
結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだ発明されず
水に色なけれど全く色なしと言へるかどうか色とは何か
動いた心を、自分の手持ちの言葉で、表現する。五七五七七の定型を守りつつ、「テニオハ」の選択に至るまでぎりぎりまで推敲せよ、と老師は銘じます。
運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり
「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか
「感動や発見があれば、爪のアカについても歌はできる」、「1つの歌にベストの形は1つしかない」、と奥村氏は断言するのです。
居ても居なくてもいい人間は居なくてはならないのだと一喝したり
一回のオシッコに甕一杯の水流す水洗便所恐ろし
本号ではその奥村晃作氏への核心をついたインタビューも掲載され、「空」という字が入った短歌募集も行われていますので、みなさまお見逃しなく。
ところで「暮しの手帖」のいまの編集長は、なんと元ブルータス編集部で旧友の澤田康彦さんです。
私は以前、彼が主宰するfax短歌誌「猫又」に誘われ、「「人名」を入れ込んだ歌を作れ」と命じられて次のような2首を投稿したところ、判者の穂村弘氏に選ばれて大喜びしたのが、私の短歌歴の超遅いはじまりだったことを、はしなくも思い出しました。
「狂犬病の注射に出頭されたし。佐々木ムク殿」と鎌倉保険所は葉書を寄越せり
耕ちゃんがもし障害児じゃなかったら眞とは別れていたよと美枝子いいけり
末尾ながら奥村特集以外にも「暮しの手帖」は数多くの読み物を載せていて、その中では原由美子さんの服飾の名文と、岡本仁さんの名古屋買い物紀行の奮迅の取材ぶりに感嘆いたしました。
「広告がゼロの雑誌は気持ちがいいね」と広告一筋の男いうなり 蝶人