あまでうす日記

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内田百閒著「百鬼園随筆」を読んで 

2019-09-10 22:11:19 | Weblog


照る日曇る日 第1292回

この本は新潮社の文庫本で読んだが、表表紙の百閒先生のイラストをなんと芥川龍之介が描いていて、まことにモダンでシュールでいかにも百閒な感じで、この一葉と川上弘美の解説だけでも一読の値打ちがあると思ったずら。

内容がまた無茶苦茶に百閒らしさ全開のモダンなシュールレアリズムで、怪奇譚あり逸話、夢物語あり、掌篇随想から超短編、中編小説まで、それこそ百閒の「なにもかも」が玩具箱のように奥の4帖半にでんぐり帰っている。

とりわけ異色なのは「百鬼園先生言行録」で、それぞれが前後にあまり関係のなさそうな短編がうすい連歌のような連珠でつながって、やっとこさっとこ物語のようなものを繋げていく。全6章建てなどと粋がってはいるが、とちょっと揺さぶればバラバラ事件になってしまうだろう。その証拠に続けて書いた3章立ての「百鬼園先生言行余録」なんかは二進も三進も行かなくなって自滅し果てている。

漱石の後を継ぐべき同輩の百閒と龍之介が、そろいも揃って短編の名人でありながら長篇を書けなかったのは、いったいどうしてだったのかしらん。

蛇足ながら百閒のような偏屈人が、陸軍大学や法政大学で独逸語の教鞭を執っているのは怪しむに足りないとしても、やたら飛行機に乗るのが好きだったのは意外である。(芥川も屋根の上に登るのは得意のようであった。)

私は、当時のインテリゲンチャンとして平均以上の収入を得ていたはずなのに、毎月毎月金がないといっては同僚、友人知己、しまいには新聞広告でみた高利貸の所まで足を運ぶ百閒を、いくら考えても理解できない私のであるが、その借金地獄のあり様を克明に書き記した「無恒債者無恒心」「地獄の門」「債鬼」、などを読んでいると、これを書くために借金を重ねたのではないかいな、という奇妙にねじくれた感想まで浮かんでくるから妙なものである。

陸軍の若手幹部を教育し、戦艦の出初式には出席するくせに日本文学報国会に入会せず、喉から手が出るような60万円の年金が黙って転がり込んでくるというのに、芸術院の会員になるのが嫌だと称して辞退してしまう内田百閒は、変な人だが好きな人だ。


変えたいと誰も思わぬ憲法を変える変えるとおめくファシスト 蝶人
コメント
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