照る日曇る日 第1294回
2010年に上梓された「清潔な獣」に続く、待望の最新作が登場しました。
激動の2011年1月から13年1月までの2年間、作者は50代の半ばになってNYで語学留学する!という暴挙&積年の夢を実現します。
人種の坩堝と言われるこの街で、年齢も過去も忘れて、世界中からやって来た若者たちと外国語に真正面から取り組む姿の、なんと若々しく、光輝に満ち満ちていることでしょう。
この本は、そんな勇気ある女性の、文字通り感動的なドキュメントとして、まず読者の胸に飛び込んできます。
異なる文化と文脈に根差す、国籍も人種も様々な人たちとの交流が、日々作者に激烈な刺激を与えるなか、おりしも3月11日に発生した母国の大震災と津波、そして福島原発のメルトダウンが発生します。
そして、その海を越えて伝わってくるファクトが意味するものを、被写体へのズームインとズームアウトという2種の詩法(レンズ)を軽快に駆使して、その世界史的意義と自分史的意味の双方を、あまねく描破し尽くそうとする作者の「半永久的前進主義」と作家根性の見事な発露は、かの福一の水素爆発を凌ぐというても過言ではないでしょう。
作者にとって「第2の人世のエポック」を画する至高の体験となったNY留学。しかし、その全容が姿をあらわすためには、長い時間が必要でした。
作者はそんな独自の貴重な体験を、帰国後さらに6、7年の歳月をかけて生き直し、生き直しつつ言語化するという試行錯誤を通じて、いま我々の間の前にある世界とは何か? そんな世界を我々はどう生きるのか?という昔ながらの大問題について、ある種の啓示というか、あらたな覚悟のようなものを見出すに至ったのではないでしょうか。
そういう意味では、この詩集は、すでに押しも押されぬ実力派の詩人のもう1つの詩集、という以上の現代詩的な意義を、作者自身にも、読者に対してもキラキラ発散しているのではないか、というのが私の感想です。
蛇足ながら、作者を海外へ送り出し、見守り続けた人の懐の深さを立派だと感じ入りました。
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結局は誰も助けてくれまへん台風地震津波に貧乏 蝶人