あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

内田百閒著「続百鬼園随筆」を読んで

2019-09-14 16:09:19 | Weblog


照る日曇る日 第1293回


百閒の大ベストセラーの後編であるが、前篇とはだいぶ見劣りがする。
中には17歳や20歳頃の若書きも混じっているから当然のことだろう。
とはいえ幼くして死別した堀野君との交友と永別をえがいた「鶏蘇仏」は真情溢れる名品で、後年の百閒のニル・アドミラリ振りと比べるとその純情可憐が心を打つ。

私は以前日本文学報国会への入会を断固として拒否した百閒の蛮勇を褒め称えたことがあるが、それは彼の権力への傲岸不羈な反抗ゆえと解釈してのことだった。
しかしそもそも百閒は、根っからの自由主義者である。戦争や軍人の横暴を憎んでいたには違いないが、社会主義者や共産主義に共感していたとは思えない。

彼は戦前から長く陸軍大学の教授を務めていたし、陸軍の飛行機にも愛着を覚えていた。むしろ当時のインテリよりも軍隊への親近感があったのではないだろうか。
だから日本文学報国会に対するノンは、そういう社会的意識に基づく政治的?行為ではなく、後年の芸術院会員へのノンと同様、長いもの、面倒くさいものに巻かれたくないという、彼の師漱石譲りの「厠から出ない不如帰」の天の邪鬼精神」の発露であったと思うのである。

   逗子駅で横須賀駅で延々と電車が停まる停電ですとさ 蝶人

コメント
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