あまでうす日記

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大江健三郎著「大江健三郎全小説12」を読んで 

2019-09-22 12:29:36 | Weblog


照る日曇る日 第1295回


本巻では「燃えあがる緑の木」の全巻、すなわち「第1部「救い主」が殴られるまで」、「第2部揺れ動く(ヴァシレーション)」、「第3部大いなる日」の3巻、というより3冊を内蔵している。

「第1部「救い主」が殴られるまで」は、男性から女性へ「転換」したサッチャンの口から祖母バーバの死と新しいギー兄さんの登場、活躍、そして失墜の顛末が興味深く語られる波乱万丈の物語である。巻末ではギー兄さんはサッチャンと性交し、救い主と信者2人だけの「教会」が誕生する。死にゆく少年に「君が誕生していなかった時間も君が死んでしまった時間も同じ。それより一瞬より少し長い時間を大切にしよう」と説くギー兄さん。

「第2部揺れ動く(ヴァシレーション)」では、教会の礼拝堂が完成。しかし肝心のギー兄さんは教祖として自立できず、その無様な姿に衝撃を受けたサッチャンは屋敷を出てしまう。「白哲の貴公子」と呼ばれた外交官、西山健彦をモデルにした「総領事」の面影が読む者に深く刻まれるだろう。

「第3部大いなる日」では、K伯父さんの世話で伊豆の別荘に逃れ、隣人の画家、岡のパートナー、マユミを介して「酒池肉林」の自己解放の世界に入るが、やがて時来りて再び教会を訪れ、元敵党派の襲撃を受けて車椅子の身となったギー兄さんと再会する。
しかしあらゆる宗教、政治党派運動の例にもれず、この熱烈に神を求めたがついに神に出会うことのなかった共同体も、ギー兄さんの挫折とともに分裂、崩壊、自滅の道を辿る。

いたるところにちりばめられたバイブルやダンテやイエーツやヴェイユなどの引用はきわめてペダンンチックでうざったいが、一人の小説家の集中的想念が、実際の社会的現実(オウム真理教事件、原発事故、性的マイノリティなど)を先取りする形で爆発的に形象化されていることは、この小説の対象が、個人や共同体の「魂のこと」の考察にととどまらず、日本および全世界が抱え込んだ政治的経済的社会的文明的現在と近未来への洞察を内包しているからだろう。

社会の中に生きる人間のすがたを、その人間の取り巻くあらゆる社会的諸条件と共に描き尽くすこと。ここには、かつてサルトルや野間宏が着手して果たせなかった「全体小説」の最上最良の成果が提示されているのではないだろうか。


「主イエスキリストは」と言いながら祖父小太郎は召天したり 蝶人
コメント
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