あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

小林秀雄について

2021-02-06 12:39:37 | Weblog

照る日曇る日第1538回&蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第362回

むかしむかし小林秀雄という有名な評論家がいた。
私が中学生の時、田舎の町に彼が講演にやって来たので、私は父と一緒に広大な千畳敷きの「みろく殿」の最前列に座って彼の話を傾聴した。その時の話がどんな話であったかは、もう誰も覚えていないだろうが、さよう、酔っ払いの落語家が訳の分からぬ噺をしているようだった。
彼は大酒飲みではなかったかもしれないが、かなりの酒飲みだったから、銀座のバアで大杯を喰らった挙句、べろべろで帰宅してから締め切りの原稿を書き上げなければならない苦労と悲哀に触れたエッセイもあって、私はそれを読みながらテメエバアロオ!と叫んだのであった。
そんな小林秀雄のナマを聞いた若き日に、彼の美術についての記述を読んでいたら、(もううろ覚えだけど、このひとは「美は僕らに沈黙を強いる」というようなことを語っていて、ボクは、「ふむ、それは確かにそうだなあ」と妙に感心したこともあった。
しかしその後、ボクが僕を卒業し、さらに私になってから、上野でゴッホやピカソの作品の前に立ったとき、沈黙や沈思どころか、思わずワアーと叫びたくなるほどの感動に襲われたり、この絵をいつまでも見入っていたいと願う衝動に襲われたりしたので、そういうヤクザの啖呵のような名台詞を思い出すことはもはやなかったのである。
小林秀雄にはゴッホに就いての感動的なエッセイもあったが、あとからそれらは実物ではなく写真や図版を凝視しながら書かれたと知って、その物凄い直観と想像力に驚くと同時に、どこかしらけるような気分に襲われたものだ。
小林秀雄は、詰らない小説も書いていた。その中に大河を渡るポンポン蒸気船に乗った主人公が、他の乗客と同じようにブルブル震動しているのが生理的に不愉快で「存在の耐えられない軽さよ!」とか吐露するくだりがあって、これを読んだ中野重治が「なんで不快なのかさっぱり分からない」と評していたが、私も同感であった。
小林秀雄は最近世間を騒がせている森某と同じく、どえらいえらもんさんなのである。
戦争があろうがなかろうが「莫迦だから」反省ひとつせず、若い時から素寒貧ではあっても、一般大衆なんかとは、知性も感性も図抜けて鋭いと自分では思っていたのである。

 「橋の上にタヌキがいるから来てご覧」妻の電話に自転車で行く 蝶人
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