米国の俊英作家の、最後の遺作大恋愛小説である。
主人公は実在の辣腕映画プロデューサーからイメージを借りたらしいが、まだうら若い彼が、その日に撮影されたばかりのラッシュを見ながら、年配にして超ヴェテランの監督や、キャメラマン、シナリオライター、そして往年の大俳優を向こうに回して、簡にして要を得たダメ出しをしていく箇所は、本書の白眉で、まるで映画を見ているような迫力と臨場感に満ち満ちている。
晩年にNYからLAに主戦場を移して、当時全盛のハリウッドで実際に映画の仕事に携わった作家ならではの知識と経験が総動員されて、この珠玉の数ページが生み落とされたのだろう。
されどまことに残念無念ながら、およそ半分くらいのところで未完成に終わった本書だが、付録につけられた全体図や梗概、それらをしっかりと補強するいくつもの断片やラフスケッチを一読すると、主人公の「純愛」のみならず、映画産業の腐敗と堕落を取り巻く組合運動や政治的陰謀、40年代のアメリカ社会の階級闘争といった「大きな物語」が、その大伽藍のような骨格をあらわにしてくる。
もしもスコット選手が、1940年12月21日に第6章の最初のエピソードを書き上げた直後の心臓発作によって44歳にして急逝することなく、せめてあと1年の余命を天から授かっていたなら、間違いなくかの「グレート・ギャッツビー」を凌駕する、偉大な代表作が日の目をみていたことだろう。ああ惜しいかな、惜しいかな。
中国が輸入禁止にした台湾のパイナップルを美味しく頂く 蝶人