労働者相手の店なので土日祝日休みでなかなか縁が無かった港区船見町の食堂「天ぷら屋」へやっとの訪問。この日は近くの産業遺産を観に行くついでに、折角なのでと時間を合わせて朝ご飯代わりに店に寄ってみた。金山からバスに乗って到着したのはおよそ飲食店があるとは思えない工業地帯で、名古屋港を行き来するトラックやトレーラーが2車線をビュンビュン走る場所にある。外観には看板などは何も無く、ここが食堂だというのは知っていないと全く分からない(→これでも以前と比べて外観は綺麗になったそうだ)。そもそも店名もこれが正式名称なのかどうかはよく分からない。店の前には路上駐車をして食事をするトラックがひっきりなし。
狭い間口の店内に入るとテーブル席がいくつか並んでおり、奥が調理場になっている。その手前に棚があり、そこに調理済みの品が並んでいて自分で取るシステム。年配の夫婦でやっていらっしゃる。まずは奥でご飯のサイズと、味噌汁を赤か白かで頼む。こういう店ではご飯が大盛なのが普通なので、自分は「小」と「白」でお願いした。女将さんが置いてくれたご飯は「小」でも飯碗に大盛といっていい量。味噌汁の具は豆腐で、容器に置いてあった天玉を少し足してテーブルに置き、棚から「焼鯖」「明太子+じゃこおろし」を取って腰を下ろした。
次から次へとやってくる客の中で私服なのは自分だけ。他はほぼみんな作業着、それに数名のサラリーマン。店は狭いので必然的に相席になる。みな勝手の分かっている客ばかりで迷うことなくご飯と味噌汁を受け取り、食べ終わったら黙々と食器を戻して勘定してもらい出ていく。作り置きの惣菜なので特にどうのこうの言う料理ではないが、このシチュエーションでいただくとご飯も滅法美味しく感じるのは不思議なもの。周りが大盛のご飯をワシワシと掻きこんでいるからかな。綺麗に平らげて勘定してもらい店を出た。さあ、ここからの移動手段がバスしか無いのでバスの時間を調べないと。(勘定は¥610)
↓ 店のすぐ近くに残る「船見閘門」(昭和2年・1927・建造)◇。”閘門(こうもん)”とは水量や水位を調整する水門のこと。こちらは既に役目を終えて周りは埋め立てられ閘門のみが残っている。設計は「名古屋港跳上橋」や四日市の「末広橋梁」を設計した山本卯太郎で、彼が主幸した「山本工務所」の銘が入っていた。
天ぷら屋
愛知県名古屋市港区船見町42
※令和5年4月30日を以って閉店されました
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