変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

仲間のお見舞い

2010-04-23 13:33:56 | 人工股関節について

 季節はずれのお天気で毎日冬の装いです。

 13年ぶりの低温だとか…
13年前を覚えていないので…  そうなんだーと変に納得。


 元気印?! が モットーの私も、
この気候に付いていけないのか? 年だから疲れるのか?
叔母の介護が負担なのか?

 とにかく疲れているのだなぁー
昨日、戦友(入院が一緒だった)のSさんと‘のだめカンタービレ'を
観て、その後ランチにおしゃべり。

 
 ‘のだめ'の映像と音楽に癒されました。

 疲れている時は、さすがに、ポップスよりもクラシックだ!
なんて、普段はクラシックでねむくなるタイプのくせに、思いました。

 戦友は一緒に手術(両側変股症だが、まず良い方を6年前に、
悪い方を5年前私と同時期に人工の手術をした。同時期の経過が
悪く3ヶ月入院していました。)

 彼女は家に帰ってからも、ずっとしびれがあったり痛みが強かったり
で、なかなか足に体重をかけられませんでした。
 2年経ってレントゲンで、ステムと自分の骨の間の隙間が空いていて
そのためぐらぐらして足に荷重がかけられないと、先生に言われた、
極めつけは
「この機種は自分の骨に付きにくいんだよねー」って。

 なんて先生!

 もう5年経っているけど、まだ隙間は空いているそうでした。
でも今の主治医は
「筋肉が安定してきているので、心配ないですよ」
と言われたそうです。

 
 先生を替えてよかったねー

 彼女、先日の松本先生の‘講演会'に参加してくれたので
お尻を押してもらい… 「いたかったー」
でも、気持ちよかったーと笑顔で言いました。

 お仲間が笑顔だと私も嬉しい。 
 
 映画の前の電話で また、足が痛い、と言っていたので
私のマイ‘らっこちゃん'を貸し出ししました。



 一昨日、‘きらら'のお仲間で昨年8月に手術を(痛みが軽減したので)
キャンセルした、とこのブログでも載せた方が、4月14日に東京の
日産玉川病院で人工関節置き換え術の手術を受けました。

 この方は(60代前半)、テニスに登山に海外旅行にととても活動的
な方でした。
初めてお会いしたのは、4年前。
 まだその頃は痛みが有ってもお元気に歩けていました。

 昨年ぐらいから痛みが強くなり、きららの体操教室もずっと休んでいました。

 並行して、長野の一人住まいのお母様の介護が大変になって…
(施設に入れるほど悪くないが…特養は介護度が高くないと簡単に
入れてくれない。 一人では生活できない)
 だんだんおしもの始末が一人で出来ず、夜中に何度も起こされたり
留守している間にご主人が病気になり手術をしたり…

 ‘今'自分の足の手術をしないと…
ますます動けなくなり、お母様とご主人のお世話ができなくなる、
と思われたようでした。


 お見舞いに行くと、ビックリです!

 術後7日目なのに、片杖でしっかり歩いています。

 さらに、驚いたのは、床に落ちた自分の杖を
体をかがめて 拾ったのです!


 5年前、私が入院した病院では、床に物が落ちたら大騒ぎ!

 絶対に(入院中) 「やってはいけない」 動きで、看護婦さんやら
入院患者の方にも怒られたものでした。

 床に落ちたものを拾うのは、安定した状態の方や(ガャチャガャチャ
といって)おもちゃのような物をはさんで取るものを使用していました。
 


 術後、経過が良いといっても、3ヶ月は無理をしないほうが良いと
銀サロの松本先生に聞いていましたから…

「くれぐれも3ヶ月は無理な自主トレはしないでね!」
と言って来ました。


 8月までは、お母様の介護を介護事業者に頼んでこられたそうです。
昼のヘルパーさん、夜のヘルパーさん。

 夜の方へは、一日10000円 支払う と聞いて ビックリ!

 でも、私も 思い出せば 数ヶ月前 毎日 夜の叔母の介護で
死にそうだった… ことを思えば…


 でも、お金の無い人は…どうすれば良いのだろう?


 幸いにして、叔母は元気になって、今日はデイに行きました。

 でも、この先また? どうなるかは分からない。

考えたら、また暗くなってきた…


 がんばろう!  私!  
 がんばれ!   介護している方々!






 

 

コメント
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