今朝、たまたまテレビを観ていたら、フジテレビの大塚アナが、急性リンパ性白血病
で、休養すると、生電話でお話されていました。
ビックリしました! 大塚さんの年齢を見て。
63歳。うちの主人、来年63歳です。見た目、主人は若く見えます。
だけど、やっぱり病気が出てくる年なんですよね…
主人が居ないと、何にも出来ない私は…考えました…
二人で、これから、なるべく旅行したり…楽しく時間を過ごさないと…と。
自分のことばかり、自分だけのことではなく…二人の時間を大切にしたい、と。。。
ただ、流されていくだけでは、だめだなぁーって。。
私たちの病気、変形性股関節症は、大塚さんのように命にかかわる病気では
ありませんが…
私のようにあなたのように皆さん、なにかしら、人生に影響を与えています。
今日は、〇〇さんの体験談をご紹介します。
〇〇さんの要望で、(色々な意味で)誤解されないために…
全文、彼女の書いたとおりに記載させていただきます。
彼女の人生が垣間見られます。
『本当のことは突然やってくる』~激痛と娘と娘の彼氏さん~
ワタクシ、現在右股関節置換術後7ヶ月・左(マシだったほう)人工股関節置換術後
5週目のびっかびかの新人プチサイボーグでございます。
・・・新人と申しましても、もはや今年9月で53歳、恥ずかしいこと情けないことが
山積みの人生の果ての人工関節全置換術ということになりますので、手術の内容や
治療の様子などなどはお詳しい皆様方にお任せし、この1年間に起きた私の愚純な
人生周辺の出来事のほうを語らせていただければと思います。
お気に召さないこと、ムッと感じることも含まれているかもしれませんが、その際は
どーぞ、笑って読み流してくださりましーーー。
やはりおかしいな?と今度こそ認めざるを得なかったのは、去年のお正月。
それまでの約1年間は、「腰痛・軽いヘルニア」と言われていました。
しかし、足の付け根の奥が割れるように激しく痛い、これは尋常でないような?
と漠然とした不安で迎えた正月明けの診察日に、代診の医師――結局この医師は
のちにチームの一員として私の手術に加わってくださることになるのですが――、
に「ヘルニアなんてとんでもない。すでに変形性股関節症の末期。すぐうちに転院して
手術を」と伝えられ、始めて変形性股関節症という単語に出会ったのです。
そのとき私の頭に浮かんだのは、まずは(コカンセツ??って、なに?どこにあるの?)
でした。そしてショックのあまり笑うしきゃ無い心境だった私がその日出した結論は
「今日の話は、とりあえず聞かなかったことにする」でした。
手術をしたくない、というより私には入院や長期のリハビリはできない事情がある、と
その頃は考えていました。
私の長女は発達障害があり、フツーに専門学校生として暮らしているようには一見
見えますが、実際は日常生活全体を母親(私ね)目を配らせ心を砕くことで成り立って
います。バッと見ただけでは分からないと言うことで、私たち母親は長く(もっともこの
10年間ぐらいでは、人気俳優さんがTVドラマで障害を抱える主人公を演じたりのお陰も
あり驚くほど社会の認識も変容し、前頭葉の機能障害と認定され2005年には
発達障がい者支援法が成立し、制度として医療や福祉の対象となりました)魔女裁判
のごとき「すべて親の責任・親が過保護あるいは愛情不足」のシュプレヒコールを得て、
わが子がパニックを起こすたび、強いこだわりで身動きや次の行動が取れなくなるたび
とんちんかんな発言をするたび、年齢に対してできないこと、つまり年齢に対して
体力学力生活力、そして空気を読む能力が足りないとされるたび、耐えて下を向く
母親業を強いられてきた長い暗黒時代がありました。
そして私は、暗黒時代をたまたま生き残った自称サバイバーです。
もう、だめだー、何度わが子の手を振り切ろうとしたことか思い出せません、が、なんとか
ここまで私たち母子は、ただたまたま、命をつなげました。
例えば「虐待」と呼ばれる母子の様々な悲しいニュースの根底には、発達障害をはじめ
何だかの精神科領域に属するトラブルをもともと抱えている方々が多く登場するように
感じられます。例えば母親が逮捕される事件が報道されるたびに私は、紙一重で塀の
中に入らなかった私だからこそ、根本的な部分を無視してはなんの解決にもならないと、
突きあがるような想いにかられます。
一念発起して。
若い人に混じって四十路後半で再び大学へ。精神保健福祉士になって、公務とメンタル
クリニックで掛け持ちして、遅ればせながらやっとここまで、まだ何も出来ていない3年目
でした。
…なのに、突然!!!
~つづく~
人生いろいろ、ですね。。
『変形性股関節症に負けないでね!』