すごーーーくご無沙汰してしまいました!
ブログの更新がないと、皆様、私の身体の具合が悪いのか? 介護で何か?
と、とても親身になってくださいます。
ご心配お掛けしました。
もう、大丈夫です!!
13日の日に、叔母が緊急入院しました。
前回のブログでも叔母の具合の悪さは、書きましたが…
12日に往診をお願いして、500㏄の点滴を自宅でしました。
そのときに血液を持ち帰り検査して、翌日の往診でその結果が、かなり悪く(入院のレベル)
なのと、酸素濃度も90を切り86とかなり、悪い。
主治医が電話で系列の病院に入院ベッドの問い合わせをするも…満床…と。
前に、何度も入院したことのある「川崎市立病院(財前教授の白い巨頭の撮影場所)」
に問い合わせるも…満床ですから、転院という形での救急対応はする…
と、救急車で一度、市立病院へ行き転院先を決めてまた、救急車で転院先へ…ということでした。
入院先の病院が決まらないので、自家用車でいつもは救急車を追いかける(帰りの足のため)
ところを一緒に救急車に乗りました。何度目の救急車か!!
酸素濃度が低いので、酸素を投与、微熱あり血圧心電図を…
胸が締め付けられ……ドキドキ、しました。
市立病院で、また検査。点滴(脱水がひどく)と酸素投与。
検査の結果、肺炎と脱水とのこと。
16時に到着したのに…なかなか次の受け入れ先が決まりません。
手を握って、傍らで励ますも…意識朦朧のよう…
近隣の病院がすべて満床で…神奈川県のセンターに問い合わせていると。
横浜の戸塚(うちから、車で一時間20分くらいかかる、病院からも、もし救急車で移動しても
一時間以上かかる所)の病院しか空いていないかも、それでもいいですか? と。
エーーーー、毎日通えないーーー。仕方がないと、あきらめた頃、
近隣の病院に空きが、その病院へ転院の救急車を呼んでもらい、またまた、救急車へ同乗。
その病院へ20時に着きました。またまた、検査。レントゲンと血液、その間も点滴と酸素。
何度も同じ検査を病院ごとに繰り返す。
紹介状に添付されていないの!? 具合が悪い叔母は、自分が何処にいるのかも??
わからないようでした。もっとも、当たり前だと思いましたが!
そんなこんなで、疲れてしまい、主人も翌日の仕事が遠方なので、タクシーで自宅に戻ったのは、
22時でした。
主人は主人で食事もお風呂もいつ私から、電話で迎えに来て、と言われるかと思っていたようで…
気が気ではなかったようでした。
今回の叔母の入院は、もうダメかと思いました。
実母も肺炎(誤嚥性肺炎)で亡くしているので…また同じ病気で叔母も…
と思ってしまい、、、
「神さま、仏さま、ご先祖様」って、お願いしましたーーーーー!!!!
涙を流して、涙が出てしまいました。
必死になって、見舞いに食事の介助に行きました。昼、夕連日行きました。
21日のきらら体操教室も休みにしなければならないかも、と覚悟しました。
19日くらいから、状態が安定するも酸素投与は続き…
心配していたその日、神さまだなぁー神さま仏様はいる、なぁーと感謝したのは、
昼食の介助の時に、主治医がふらっと叔母のベッドに様子をみに来てくれて…
「熱も下がってきて、血液検査の結果もよく…今月中には退院できますよー」って。
嬉しかったーーー、2月13日は亡き母のお誕生日でした、母が叔母を護ってくれたのだと、
また、思いました。
やっと、安心して、昨日から昼食介助のみの一度だけの病院通いにしました。
必死になっていたので、自分の足が痛みが出て病院に行かれなくなったら、大変とばかりに…
筋肉ほぐし(楽股ちゃんで)40分を2回計80分、必死でほぐしまくりました。
だから、快調です。
歩数も広い病院の2回分と買い物や家事やらで、普段の何倍も歩いています。
結果、筋肉強化したのと同じことになりました。
そして、そして、疲れ果てているので、(だけど神経は不安ではないからか?)
22時には眠くなり、熟睡できました、しています。
あんなに、6時間続けて寝たかったことが、いとも簡単に実現しました。
ま、時々は、睡眠中断してしまう日もありますが、このまま、好転しそうな気がします。
災い転じて、福となる、、、、、ようです。
これからは、また、ぼちぼちとブログを更新しますので、またよろしくお願いします!
『変形性股関節症に負けないでね!』