旧友との伊豆ツアーの途中、伊豆市(旧土肥町)の最福寺を訪れました。
ここは「14世本因坊・秀和」生誕の地として、顕彰碑や秀和の資料が展示されてある「歴史郷土資料館」があります。
近くの「恋人岬」は観光客も多く有名ですが、「最福寺」は観光案内にも小さく載っている程度でした。場所も分かりづらく地元の人に聞いてやっとたどり着きました。
平日(月曜)の午後ということもあり、私たち以外は訪れる人もなく閑散としていました。
顕彰碑や資料館は囲碁ファンにとって大いに興味あるものですが、一般の人たちには面白くもないのでしょうね。
施設は田舎のお寺の片隅にポツンとあるという感じで、本因坊秀和も草葉の陰から苦笑いというところでしょうか。
囲碁ファンとしてはもっと施設を整備、PRして多くの人がこの伊豆から囲碁に関心をもってもらえればありがたいと思うのですが・・・。
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本因坊秀和は弟子の「秀策」に比べ知名度はイマイチのようです。
実力的には名人の域にあったようですが、幕末の混乱期であったことと、師の本因坊・丈和のような政治力に長けていなかったことが名人への道を閉ざしたといえそうです。
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以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
「本因坊秀和」
本因坊秀和(ほんいんぼう しゅうわ、文政3年(1820年) - 明治6年(1873年))は、江戸時代の囲碁棋士、14世本因坊。
伊豆国出身。幼名は土屋俊平、後に恒太郎、秀和。本因坊丈和門下、八段準名人。囲碁四哲の一人とされ、当時周囲にも名人の力量を認められていながら、幕末の混乱のために名人就位はならなかった。15世本因坊秀悦、17・19世本因坊秀栄、16・20世本因坊秀元は実子。
2006年に囲碁殿堂入り。
「顕彰碑」
1990年に生誕170周年を記念して、伊豆市の秀和の生家の隣にある最福寺に「秀和生誕の碑」が作られた。
「秀和生誕の地」の文字は坂田栄男の揮毫による。最福寺内の郷土歴史資料館には秀和の展示コーナーも設置されている。
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