こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人にものを教えるということ・・・私の引き出しの中身は?

2011年11月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
若い先生にものを教えると大変良く吸収する。もちろん、自分がわからなかったことをわかるように教えるのだから、当然ではある。だが、悲しいことに、自分が長年やってきて得意だと思っていることでも、教えてしまえばひと月ほどでネタが尽きてしまう(ような気がする)。

よく、「仕事とか、技術は、盗むものだ」と言ったりするが、まさしくそんな気がする。
若い先生に教えてあげるということは、私の技術、能力というものを、開示して知らせてあげるということだ。とくに、職場で四六時中一緒にやっていれば当然のことながらどんどん、教えていくことになる。そして、どんどん、追いついてくるし、教えることは枯渇する。
だから、私の先輩でも、大したことを教えてくれなかった先生がいるが、あの先生、自分の技術を人にあげるのが嫌だったのかな?なんて思ったりもした(実際のところ、私がついていけなかっただけだった)。
結局は、私自身の努力不足。自業自得。

あと、教えれば教えるほど、自分の馬脚を現してしまうということもつらい。引き出しの数も中身もほとんど無いことがばれる。
それまで、考えたこともないことを質問されたりすると、とてもうろたえてしまう。

そんな風にして、自分の引き出しの少なさ、中身の少なさを嘆いていたある日、某科の先生と後進の指導について話すことがあった。その先生曰く、
「彼等(レジデントのうちその科を希望して3週間だけ廻るローテーターの若手医師のこと)、三週間も教えると、それなりにできるようになるんですよね。まあ、教えるのは大変ですけど、(そのコース)人気があるんで、楽しいですよ」
私、
「でも、先生、それって、戦力にもならず、ただ教えて、(自分の科に)帰っていくわけでしょう?大変じゃありません?」
その先生曰く、
「でも、それが教育ですから」

私はずいぶん驚いた。当たり前のことを、当たり前のようにさらっと言ってしまったその言葉が衝撃だった。その先生が教えていることは、結構マニアックだけど、一回学んでしまうと日常の診療で結構役に立つ領域で、(臨床的には)重宝する(らしい)。

そういったことをね、ちゃんとできるって。えらい。
まあ、もともと、尊敬していた先生なのだが。

私はすでに、誰かが手取り足取り教えてくれる年ではない。
もう、自分で勉強して行くしか無い。もちろん、学会や論文で勉強する訳だし、優秀な後輩達もいろんなことを私に教えてくれる。
今日からでも、遅くない。勉強しようと思う。

後進の指導とは、自分の血肉を分けていくことなのかもしれない。だけど、それだけでもないかなと、思う今日この頃です。

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