こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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移動速度と思考量の関係

2013年02月15日 | 日々思うこと、考えること
駅から勤務先の病院の間を、毎朝毎晩40分足らずかけて歩いている。運動不足解消のために数年前からはじめた通勤路だが、一年前あたりから同じような道を使う人が増えてきた。若い人が多く、私はどう見ても最年長だ。歩く速さはとても速い人、遅い人様々いるものの、年相応やっぱり私が一番遅い。
いつも遅くて、しばしば追い越されるが、いつもそうでは悔しいと思い、今朝は私を追い越していった人と同じスピード、というか歩数で歩いてみた。

一番速く歩く人に歩数を合わせてみたらまるで走っているようだった。1、2キロ追ってみたが、ついていけなくなってしまった。そのまま追いすがるのもなんだか癪にさわるので、途中から、道順を変え、スピードダウンした。それでも、いつもよりずいぶん速く歩き続けていた。すると、あることに気がついた。

歩いている間なにも、考えていなかったのだ。
私にとって、考えること、そして、そのいろいろ考えたことをこのブログ(こんきも)に書き残すということは、とても大切なことだ。だが、速く歩いていると、“速く歩くこと”ばかりに気がいってしまい、考えること、周りの風景を見ること、といったような大切なことができない。
思い起こしてみれば、学生時代体育祭やマラソン大会はもとよりバスケット部の練習でのランニングなどで走っている間、いずれも“無心”だった。身体感覚の変化のようなものは感じたが、考えることといえば、せいぜい次の大会だの、試験のことだので、基本的には“走ること”を目的として走っていた。
“速く歩く”のも同じで、“速く歩くこと”が目的化していて“考えること”はどこかにいってしまっていた。



これを図にしてみると上のようになる。
自動車で移動したあとなど、当たり前だが何も残っていない。ほかのことを考えているようでは危なくてしょうがない。電車や飛行機も、思索にはあまり向いていないように思う。むしろ、考えたことを文章化する、整理する、というような時間であり、“新しい思考”は実のところ浮かびにくいように思う。
図の左、すなわち寝ている間は何も考えていないが、それよりちょっとあと、寝たくても寝れないでいるような状態は結構しんどい。こういう時は、長めに風呂に入って、軽く酒でも飲んで寝てしまうのが良いだろう。

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