午前中、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩で妻と一緒に歩いていたら、少年野球チームの練習が目にとまった。ほぼ毎週、熱心に朝から晩までやっているチームで、思わず、「今日も朝から、大きな声で、一日中か・・・」と漏らしたら、妻が、「どうしていつもいつもそうなの?そうじゃなくって、『今日も、元気のいい声が聞こえて、こっちまで元気がもらえるわ』でしょう?」と叱られた。
たしかに、どうしてそういうふうに考えられないのだろう。そちらの方がよほど楽しくなる考え方で、自分自身が幸せになれるのはあきらかだ。
なぜ、ものごとをいつも否定的に捉え、口にしてしまうのだろう。
少し考えてみたら、わかった。
私はものごとを否定的に捉えてなどいなかったのだ。少年野球を見ても、『ああ、いいな』と思っていたのだけど、それをそのままま口にすることができないでいたのだ。
ものごとは肯定的に捉えていて、そのことを人に言いたい。だけどそれができなくなっていた。どうしてか。
それは、自己肯定感が無かったから。
自分が口にすることに自信が無い。何かを口に出していったときに、否定されたり、批判されたりするのが怖いので、もっとも否定的なことを言う。
そうすれば、そのことを否定されることはない。
みんながみんな、そういうわけではないだろうが、私は自己肯定感の欠如が、自分以外の事物への皮肉、否定につながっていたのだと理解した。
自己肯定感の欠如は、さまざまな原因で起こる。
私の自己肯定感の欠如の原因をここでいうのは気が引けるが、少なくとも自分の育ってきた環境によるということは間違いない。
自己肯定感をいまさら取り戻すことはできないだろうが、少なくとも自分を否定するのはよしてみよう。