こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

差別化と格差社会

2013年02月03日 | 日々思うこと、考えること
水でも空気でもどこか一点をあたためることで対流が生じものが動き始める。
人間の社会でも同じで、皆が平等で動きがなければ何も動かない。
したがって、人より多く食べたい、人より安全に暮らしたい、といったことを考えるようになったのが初期の人間の欲望で、現代社会ではそれが極限まで達している。
猿は、人間に似ているが、ほかの猿より多く食べたい、安全に暮らしたいといったことは考えない。
犬や猫もそうだろう。
フラットコーテッドレトリバーのナイトは、飢えさえしなければ、ほかからなにか奪ってこようという気は無いように見える。


人間の欲望がこの先どうなるか末恐ろしいが、欲望がなければ経済は回らない。
全員が全員、同じ性能、値段の物しか入手できなければ一番いいのだが、どうしてそうならないのだろう。

例えば、時計。
3000円くらいの物から、上は1000万を超える。時間が正確であればいいという人も、どちらかを選べと言われたら、後者を取るだろう。
世界中の人が同じ時計を使っていれば、格差は生じないのに、と思う。

飛行機の座席もそう。
ファーストクラスはエコノミーの倍するが、全員が同じレベルの座席で同じサービスしか受けれなければどれほどいいかと思う。自家用ジェット機など言語道断だ。
だが、現実はそうではない。国内線ですら1000円アップで差がつけられている。


そもそも、人間はお互い差をもって産まれてくる。社会にとって自分がどこに一番フィットするのか、わかればいいのだが、社会は常に変化しているので、それは分からない。その差を埋めるためにいろいろなモノが存在する。
現状ではお金がその最たるものだ。

今、格差社会をどこまで容認するかという問題を、格差社会が悪だ、というような風潮があるように思う。これはまことに危険な考えで、社会を停滞させてしまう。
それに、どうもこういった論調でいろいろいうのは既得権益を持ってきただけの人たちのような気がする。


次々と新しい、技術、アイディアが出てきて、古くからのモノはどんどん駆逐、置換されていく。そういったことを貪欲に受け入れ、次への発展へとつなげていかなくてはなるまい。厳しい世界だ。

だが、日本でいえば、明治維新からわずかに150年足らず、社会システム、経済システムが安定するにはまだまだ時間がかかるということなのだろう。
私たちは今まだ、単なる時代の過渡期の一部にいるだけで、この格差社会というのも、そのうちの一つの現象にすぎないのではなかろうか。



ランキングに参加しています。クリック、お願いします。

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へにほんブログ村

日記・雑談 ブログランキングへ