昨日に引き続き「あの頃のこと・・・」。これまたコロ健が一敗地にまみれた話しで恐縮だが、今日は、たしか高校1、2年の頃の話。
私は都内の中高一貫校に通っていたが、母校のスマートな制服を大変気に入っていた。学校の裏にある日本でトップの国立中高に制服が無いのをみて、”これだけは勝っている”、と誇らしく思っていた。
私はバンカラに憧れていて、制服をいかに崩して着こなすかに日々腐心していた。弊衣破帽とまではいかないまでも、制帽をどれだけ潰すか。中学であれば肩掛けの制カバンをどれだけくたびれさせるか。高校であれば黒皮の制カバンをどれだけ薄くして抱えられるようにするか。というようなことだった。
靴は、もちろん黒の短靴である。
それらをどれだけ格好よく着こなし、渋谷界隈の女子高生に注目してもらうのが学生生活の目標だったのだが、あるとき、制帽、制カバンの自由化(すなわち廃止)論議が巻き起こった。
それを議論するように働きかけたグループはすでに制帽、制カバンなどすでに有名無実化させていたような奴らだったと思うが、とにかく、廃止ということをいっていた。悔しいことに、彼等のグループの方が渋谷界隈の女子高生の注目度は高く、私たちバンカラ派はむなしい日々を送っていたのは言うまでもない。
私自身、制帽、制カバンの自由化ある意味やむなし、と思っていたのだが、このままこの話が進んではいけないのではないかと考えた。
生徒会かどこかだったと思うのだが、私は、「今のまま、廃止に向かっていくのは良くない。一度は、生徒全員がきちんと制帽、制カバンを着用・使用することができる、ということを証明してから議論すべきだ」と発言したが、そんなめんどくさい意見は黙殺され、制帽、制カバンは自由化された。
私はと言えば、制カバンが自由化(廃止)となったものの、ローリングストーンズのラベルを綺麗に貼っておいたカバンと別れるのは忍びなく、しばらくは持ち続けていたが、そのうちその頃流行の布バッグかなにかに持ち替え、軟派になっていったのは、情けない限りである。
いずれにせよ、このことはなし崩し的に決まってしまった。
世の中、こうやって物事が進んでいってしまうのか、とがっくりした。今でも、あの時に戻って、少なくとも一度はきっちりやれることを示してから廃止にしたかったと思っている。
大人の社会でも結局こういった人間が押し切ってしまう。
「まあ、まあ、まあ、そう硬いこと言わずに」
どうして、こうもだらしないというかインチキな人間が世の中多いのだろうと思う。
たまに、母校の生徒を見かけると、普通のスポーツバッグを背中にしょっている。黒の短靴というのも、運動靴でいいことになっているようで、革靴を履いている子はあまりいないようだ。通学を考えると、これも致し方ないのかもしれないが、どんな大雪でもローファーで頑張っている女子高生をみると、情けない話だ。
あのかっこいい制服にこの靴、このカバンは似合わないな、と、後輩をみるたびにあの時の議論を思い出し、残念な気持ちになる。
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私は都内の中高一貫校に通っていたが、母校のスマートな制服を大変気に入っていた。学校の裏にある日本でトップの国立中高に制服が無いのをみて、”これだけは勝っている”、と誇らしく思っていた。
私はバンカラに憧れていて、制服をいかに崩して着こなすかに日々腐心していた。弊衣破帽とまではいかないまでも、制帽をどれだけ潰すか。中学であれば肩掛けの制カバンをどれだけくたびれさせるか。高校であれば黒皮の制カバンをどれだけ薄くして抱えられるようにするか。というようなことだった。
靴は、もちろん黒の短靴である。
それらをどれだけ格好よく着こなし、渋谷界隈の女子高生に注目してもらうのが学生生活の目標だったのだが、あるとき、制帽、制カバンの自由化(すなわち廃止)論議が巻き起こった。
それを議論するように働きかけたグループはすでに制帽、制カバンなどすでに有名無実化させていたような奴らだったと思うが、とにかく、廃止ということをいっていた。悔しいことに、彼等のグループの方が渋谷界隈の女子高生の注目度は高く、私たちバンカラ派はむなしい日々を送っていたのは言うまでもない。
私自身、制帽、制カバンの自由化ある意味やむなし、と思っていたのだが、このままこの話が進んではいけないのではないかと考えた。
生徒会かどこかだったと思うのだが、私は、「今のまま、廃止に向かっていくのは良くない。一度は、生徒全員がきちんと制帽、制カバンを着用・使用することができる、ということを証明してから議論すべきだ」と発言したが、そんなめんどくさい意見は黙殺され、制帽、制カバンは自由化された。
私はと言えば、制カバンが自由化(廃止)となったものの、ローリングストーンズのラベルを綺麗に貼っておいたカバンと別れるのは忍びなく、しばらくは持ち続けていたが、そのうちその頃流行の布バッグかなにかに持ち替え、軟派になっていったのは、情けない限りである。
いずれにせよ、このことはなし崩し的に決まってしまった。
世の中、こうやって物事が進んでいってしまうのか、とがっくりした。今でも、あの時に戻って、少なくとも一度はきっちりやれることを示してから廃止にしたかったと思っている。
大人の社会でも結局こういった人間が押し切ってしまう。
「まあ、まあ、まあ、そう硬いこと言わずに」
どうして、こうもだらしないというかインチキな人間が世の中多いのだろうと思う。
たまに、母校の生徒を見かけると、普通のスポーツバッグを背中にしょっている。黒の短靴というのも、運動靴でいいことになっているようで、革靴を履いている子はあまりいないようだ。通学を考えると、これも致し方ないのかもしれないが、どんな大雪でもローファーで頑張っている女子高生をみると、情けない話だ。
あのかっこいい制服にこの靴、このカバンは似合わないな、と、後輩をみるたびにあの時の議論を思い出し、残念な気持ちになる。
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