私はこれまで、多くの人に好かれ、私のことを嫌いな人などいないと思っていたが、どうやら違っていたようだ。
とくに、何か嫌なことがあったというわけではなく、当たり前のことを急に理解した、ということに過ぎない。
よく考えてみたら、いじめられたことは幾度となくあるし、奸計に嵌まったこともある。
だが、そういったことはしばしば容易に忘れてしまう。
人間、嫌なこと、本当に怖いこと、というのは考えたくないし、忘れる。死ぬことなどはその最たるもので、ついつい忘れがちになる。病理医など多くの患者さんを送っているのに、我が身のこととなると違ってしまうようだ。
だが、そうではよくない。
死ぬことは、忘れていてもやがてはやってくるものだからいいが、自分の立場、置かれている環境、というのは常に意識していなくてはならない。とくに、家族仲が良く、職場の人間関係にも恵まれている、というような状況の時こそ、自分が尊大になっていないか、傲慢になっていないか、ということを深く自省する必要がある。
今までにも、なんだか調子のいい時ほど、周りの人への配慮が欠けてしまうようなことがあったような気がする。すべての人が同じ体温でないのと同じように、すべての人の心は同じではない。
周りの人のことを少しでも意識しながら毎日を送れば、結局は自分が救われるような気がする。
それが、謙虚とか、優しさ、といったことではないのだろうか。
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とくに、何か嫌なことがあったというわけではなく、当たり前のことを急に理解した、ということに過ぎない。
よく考えてみたら、いじめられたことは幾度となくあるし、奸計に嵌まったこともある。
だが、そういったことはしばしば容易に忘れてしまう。
人間、嫌なこと、本当に怖いこと、というのは考えたくないし、忘れる。死ぬことなどはその最たるもので、ついつい忘れがちになる。病理医など多くの患者さんを送っているのに、我が身のこととなると違ってしまうようだ。
だが、そうではよくない。
死ぬことは、忘れていてもやがてはやってくるものだからいいが、自分の立場、置かれている環境、というのは常に意識していなくてはならない。とくに、家族仲が良く、職場の人間関係にも恵まれている、というような状況の時こそ、自分が尊大になっていないか、傲慢になっていないか、ということを深く自省する必要がある。
今までにも、なんだか調子のいい時ほど、周りの人への配慮が欠けてしまうようなことがあったような気がする。すべての人が同じ体温でないのと同じように、すべての人の心は同じではない。
周りの人のことを少しでも意識しながら毎日を送れば、結局は自分が救われるような気がする。
それが、謙虚とか、優しさ、といったことではないのだろうか。

