こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

手紙を書く機会

2013年05月18日 | 電脳化社会
標本の貸し借り、診断のコンサルテーションなどでほかの先生と書面でやり取りするときの半分くらいは手書きにしている。
書くことは大体同じような内容なので、何通か書けばテンプレートのようなものが出来上がるのだけど、大体同じ内容、というのは細部では違う内容なので使いまわしには気を付けなければならない。

仕事上のやり取りというもの、結局のところどちらが頼む方で、どちらが頼まれる方かということで、文面は変わるはずなのだが、医療業界ではどうも違う。
紹介状にはテンプレートがあり、それに必要事項を書き込むだけで済むようになっている。



・・・・先生御机下
から始まり、
平素よりお世話になっております、このたび・・・・・様をご紹介します。
主訴は・・・・です。

なにとぞご高診のほどよろしくお願いいたします。
平成・年・月・日
〇○病院××科
・・・・・拝

これって、どうよ、といつも思っていた。
今日では、ワードとかでテンプレートができているので、電子カルテ化されているような病医院でなら紹介状も自動で簡単にできそうだ。



私はほかの先生に手紙を書くときには、なるべく手書きのものを出す。
そもそも、大体のやり取りはメールで済むのだが、せっかく紙の文書を用意するチャンスである。手書きの手紙にする理由はとしては、手書きの方が相手との距離感に応じた文章が作りやすいことやいちいち印刷するのが面倒というということがあるが、こんな時しか万年筆を使う機会がないからということもある。

学生時代をのぞけば、手書きできちんと書く機会など、手紙を書くときくらいしか残っていない。だが、手紙を書く機会というのが少ない。何でもかんでもメールで済んでしまう。証拠が残るという意味ではメールの方がよほど重宝するようになっている。

この先、ますます手で何かを書くということが減っていくだろう。手で何かを書くというのは、ボケ防止にもいいに違いないので、何かにつけて、字を書くようにしていかねばならない。

このブログの記事を手書きで書いて、写真を撮って取り込もうと思ったが、悪筆のため、それはやめておく。

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