週末、おかしな、でもやけに整合性のとれている夢をみた。
私の母校は比較的都心にあるのだけど、広い校地を求めて少し郊外に移転した。その母校の体育祭に見物に行ったら、ちょうど昼のエールの交換が行われていた。エールの交換ではある組が歌を歌い、私が以前いた組は十数頭ものボルゾイが出てきて、芸をした。大きくて、そんなに人がいるところでおっかないところだが、やたらと躾のいい、犬たちでリーダー犬の元、とてもよく統率がとれていて驚いた。応援席の後ろにあるデコレーションは遠くてよく見えなかったけど、ちょっとだけ小ぶりだったようだ。続きはあったようだけど、これ以上は良く覚えていない。それでもある程度筋が書けたのは、目覚めてからすぐに妻に話したからだろう。
僕はフラット
この夢のキーワードはいくつかある。
そもそもは母校の体育祭である組が28年ぶりに優勝したというので、その組だった友人たちがFacebookにアップしたのが始まりだ。たぶんそのことが心に残って、母校のことを思い出したのだ。55歳にもなって、母校の、それも運動会の結果に一喜一憂、というより、運動会の結果が伝わってくる現実そのものが微笑ましいが、私の母校の運動会、すなわち体育祭好きは他所でも結構有名らしい(『運動会・・・残り物には福がある?』2012年10月06日)。あとは、映画『かぐや姫の物語』(『かぐや姫の物語という平安時代の子育てのお話』2018年05月19日)。ちょっと前に、所用で郊外に行ったということもあるけれど、映画の前半で竹取の翁らと田舎暮らしだったのが心に残っていたのだと思う。そしてボルゾイ。
これはちょっとわからなかったけど、多分、私の優秀な後輩に息子さんがいて、その子がわが母校に進学したと勝手に思い込んでいたのだと思う。その、私の優秀な後輩は昔ボルゾイを飼っていて、彼がまだ独身で実家住まいだった時にお伺いしたらボルゾイがいて、あまりの大きさに驚いたものだった。数日前に、牧羊犬の番組をみていたことも影響していたのだろう。
デコレーションの大きさは、先日同期数名で会った時に、ライバル組の団長だった男が、「(母校の)デコレーション、小さくなっちゃったんだよ」と嘆いていたのが心に残っていたからに違いない。学校側は最近は体育祭に入れ上げないで少しでも勉強してほしいらしい。
夢なんて、こんなことを書いているはたから忘れてしまうようなものだけど、こうやって記憶が固定化されて思い出となり、過去の思い出も呼び起こされるのだとわかると、随分興味深いものだと、今さらながら実感する。
嫌な奴は出てこなかった