こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

退場して、再出発を

2018年05月24日 | 日々思うこと、考えること

アメリカンフットボールの名門大学の危険プレーについての決着がつきそうだ。当の学生が機先を制して記者会見(悪質タックル問題 日大選手が会見 JIJI.com)で洗いざらい述べてしまったから、大学側も後追いのように翌日記者会見(日大・内田前監督「私の指示ではない」 悪質タックル 朝日新聞DIGITAL)を行った。昨晩の会見、ニュースで放送された部分をみると釈然としない点もあるけど、落とし所はこんなものだろう。大学の名士である監督は監督を辞めて、その腹心のコーチも辞めるそうだ。これ以上、彼らはテコでも動くつもりはない。下手をすると、今度はコーチがどうかなってしまいそうだ。前監督がその後も大学の要職にとどまるかとか、そういうことは大学内のことだから外からとやかくいう必要はない。ある意味、受験生が決めてくれる。アメフト部も対外試合がしばらく停止になるだろうけど、それもこれもそういう旧態然とした体質を保ってきたしっぺ返しだろう。指導者たる大人たちは猛省して再出発をはかるしかない。まだ若いコーチも、選手ともども立ち直って欲しいものだ。人生で一番若い今こそが再出発のチャンスだ。

政治の世界もそうだ。安倍首相は難病のために一度は総理大臣を辞めた(『責任を持った人生2007年09月)。でも、再度その激務に挑戦した(『たとえ病気を抱えていても2012年09月)。命がけで、この国を良くしようという志は今でも変わらずにあるに違いない。

でも、それだけではいけないのではないか。国民の先頭に立ってこの国を良くしていこうという人が、周りからたかってきた海千山千に利用されてしまい、その非を認めないままきてしまって、多くの取り巻きを犠牲にしている。取り巻きはなんとか生き延びているけれど、その末端では自殺者まで出ている。真実はいつか明らかになるし、もう無理なんじゃないか。財務省の中にだって、まともな考えをもっている人もいるだろう。

国の行く末を思う気持ちと、政治家としての行動は違うところもある。志を同じくする人に、思いを託することも、選択肢の一つとしてあってもいいのではないだろうか。不死鳥のようにそこから立ち上がってくればいいのではないか。

瓜田に履を納れず

李下に冠を正さず

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瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず(広辞苑 第6版より)

瓜畑の中では、脱げたくつを履(は)き直すためにかがむと、瓜を盗むかと疑われる。李(すもも)の木の下で冠の曲がっているのを直すと、李の実を盗むのかと疑われるということから、他人の嫌疑を受けやすい行為は避けるようにせよの意。