今日も仕事が多いなぁ、あれこれ算段はどうしようか、などと悩みながら電車に揺られつつこのエントリーを打っている。ふと我に帰ると、そんな私が考えているのはせいぜい1、2年後のことまで、はっきり言ってしまえば定年頃までのことで、その先のヴィジョンはとくにこれといったものは持っていないということに気がつく。
先日、ある若い病理医に、
先生が(定年で)いなくなった後は、ここ(今勤めている病院の病理診断科)はどうなるんですか?
と尋ねられた。専門門病院で、いわゆる“潰しがきかない”不人気な領域のため、恒常的になり手が少ない。私が赴任する前は2年ほど病理医が不在だったほどだ。かといって病院にしても多くの病理医を抱えるだけのゆとりはなく、後継者を育てることが難しいということを知っての客観的な心配事が口をついて出ただけだったのだと思うが、私は別の意味で軽くショックを受けた。
それは、自分に残された時間は、少なくともここにはもうあまりないということ、若者から見たら自分は近い将来ここから退場していく人間であるということ、ある時期がきたら否応なしに今座っている席を譲らなくてはならないということを実感したからだった。
少し嫌だなと思ったが、年には勝てない。それは、先日、近所のご高齢の人たちと話してよくわかった。あの時、”年寄り扱いするな”と怒り出す人は誰もいなかった。
ああ、自分もそういう年になったのだ、そして、若者たちはそんな私の心情など考える必要などなく、ただただ未来を見ているのだと理解した。
このことを残念なこと、寂しいことと考えるか、私なりに未来志向に生きることのきっかけとするかは結局のところ自分次第だ。より良い家族を残すこと、より良い職場を残すこと、より良いまち、より良い安全な日本、そしてより良い平和な世界を残すことを考えながら生きるということは、私が死ぬまで続けなくてはならないことだ。それは、今の自分のテリトリーとか定年とかそういったものとは別の次元のことであり、いちいち残念だとか寂しいだとか考えることではない。
明日明後日のことを考えることも大切だが、未来のことを考えながら生きていかなくてはならない。そして、それは自分が死んだのちのずっと先の未来のことだ。
あとのことはどうでもいいではいけない