梅雨入り前の青空。
同じ地球の上で人が人を理不尽に殺している。幸い、ここ日本ではそんなことは起こっていない。申し訳ないと思う必要はないのだろうが、事実を謙虚に受け止めておかなくてはならない。今日のエントリーは前から書いておおうと思っていたこと。週末は読む人が少ないので、今日のうちにアップしておこう。
男でも泣き虫はいる。女だからといってみんながみんなしょっちゅう泣いているわけではない。男が女であっても女が男であってもどうでもいい時代ではあるが、表現型が女の方が泣く人は多い。
テレビの中で泣いているのはほとんどが女だ。スポーツでも勝っては泣き、負けては泣く。卒業式では男でも泣く奴は少しいるが、女はほとんど泣く。それほどの意地悪をしたつもりはなくても妻は泣いてしまうし、母が泣くところを見たことはあったが、父が泣いたところを見たことはなかった。今、読んでいる小説の中ではグレーゴル・ザムザの妹がちょうど泣き出したところだ。
どうしてだ? どうして女はよく泣くのか?
短気な男が怒り出すのと同じぐらいの速さで泣き出す女もいる。いつでも泣けるように準備をしているんじゃないだろうか。
世の中わからないことだらけだが、女がよく泣くのは最もわからないことの一つで、ほとんど不可解だ。なぜ泣いているのかを聞いても、泣いている当人ですらどうして涙が出てしまうのかがわからないというのだからこっちがわかるわけがない。女の子だもん、といわれても途方に暮れてしまう。ザムザも妹のすすり泣きの理由が分からず、自らの体の変容についてよりもよほど悩んでいる。
このことに関して最近少しだけわかってきたことがある。それは、女が泣くことを否定してはいけないということ。いくら泣くなと懇願したところでそうそう涙は止まらないのだからその状態を受け入れ、そのままにしておくしかない。泣かないでなんて歌があったが、何の参考にもならなかった。
さらに不思議なのは泣き止むと案外ケロリとして次の行動に移ることができるということだ。別れ話で大泣きしたのに女はいつの間にか次の恋が始まるのに、男の方はいつまでも引きずってしまうなんてことはよく聞く。