一昨日の5月21日、米国海軍の原子力空母「エイブラハムリンカーン」が横須賀基地に寄港した。20日に「ロナルドレーガン」が出港したのと入れ替わりだそうで、5000人もの乗組員のコロナ対策が記事に載っていたが、そんなことよりやっぱりこらは大統領の警護のためなのだろうと考える。「終末の日の飛行機」といわれる米空軍の空中指揮機E4B(通称ナイトウオッチ)も飛来しているとかで、合衆国大統領の行幸には一体どれほどの人間が動き、お金がかかるのかと想像するだけでも気が遠くなる。
日本国内には沖縄、青森、神奈川、東京をはじめ、13都道府県に米軍の施設があるとかで、これに米軍が利用可能な基地を加えるとその数はもう少し増える。先の大戦での敗戦以来、こうして米国に安全保障の首根っこを抑えられているという事実をもう少し客観的に受け入れたらどうなるのだろうと思うが、そのような発言というのはあまり聞かれない。米国は日本国内に基地を点在させており、そんなところで、米国に対してなにかことを企てようとしても何もできないだろう。これは主義主張に関わらない事実で、日本の安全保障というものはここから考えなくてはいけないし、米国が日本につけた鎖を容易に手放すことはないだろう。
ロシアによるウクライナ侵攻で、米国は日本を守ってくれるか、という話が出てくるようになったが、これは平時にはあまり聞かれなかった議論だ。スウェーデン、フィンランドのNATO加盟問題にしても、その根本原因は、人類はまだまだ戦争を考えたり、実際に行う人間のいる野蛮な種族であるからであって、共通認識に基づく世界平和の実現などまだまだ遠い先の話だ。
ほとんどの人が平和を希求して生きているという性善説は、数人の独裁者に対してはまったく通用しないということが、今回の件で明らかとなった。欧米の動きはそのことを一早く受け入れた対応だ。日本も今回の合衆国大統領の来日を契機に、これまでの日米安保の精査と、今後の混沌とする世界情勢への対応を練っていく必要がある。
流れる水は腐らないが、澱む水にはゴミ貯まる、という、民主主義のいいところはまさにこの一点であって、このシステムを維持している限り、希望は残る。
なぜ独裁者を求めるのか