こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

デジタル世界についていけなくなりつつあるデジタル鬱の私

2022年05月31日 | 電脳化社会
 夜中の雨は、ずいぶん降ったようで今日も水やりが要らないのは助かる。天のもたらす水の量は、ほんの10分、20分の水撒きの数百倍であり、まさしく恵み。そんな恵みのおかげもあってか、何年か前からフラワーポットで少しずつ増やしてきた紫陽花が今年は花をたくさんつけてくれそうだ。雨は午後からは上がるそうだが、今日は1日肌寒いとのことで上着を着て出てきた。

 昨日の私はデジタル鬱とでも言える状態だったのではないかと思った。デジタル鬱などという言葉すでに誰かが口にしていると思っていたが、検索しても引っかかってこない。単に、ネット上に見当たらないだけで同じような思いをしている人は少なからずいるだろうと思うが、こういった、電脳化によって色々な形で被害を受ける人が増えている。

 SNSを通じて未成年者が性被害に遭うことが多いということは以前より知られている。初めて持ったスマホで、自分の周りの世界がビッグバン的に広がってしまうが、現実社会で周りにいるのは自分の親、友達といった基本的には自分を大切にしてくれる保護者ばかりだ。だが世の中にはそんな子供、若者を商品として利用する大人など掃いて捨てるほどいて、デジタル社会以前と比べ物にならないほど多くの被害者が発生する。今回、警察はSNSを性犯罪に利用しようとする人間に対して警告メッセージを挟み込むことにするとか、不幸な被害者が増えないことを願う。

 デジタル化のせいかどうかよくわからないが、最近、紙に文字を書くときに字が浮かんでこないことがある。
 例えば、病理診断報告書に”内部に粘液を容れた嚢胞”という一文を書くとき、いったん学習したPCは”容れた”に対して"内容”の”容”を反映してくれるのだが、別な機会に私がこれを紙に書こうとすると「あれ?いれたでつかう容って、どんな字だったっけ?」となる。こうしてブログを書いていてもそこそこ面倒な字はPCが変換してくれるが、容すらおぼつかない私が例えば鬱、爆発の爆、警察の警などを紙に書き出そうとして果たして正確に書くことができるか心配になる。
 自分ができると思っていたことが、デジタル技術によってできなくなってしまうということが度重なると自信がなくなってしまう、デジタルによる実生活からの疎外感、デジタル環境についていくことが困難になってしまっているという思いもデジタル鬱の原因の一つではないだろうか。

 デジタル鬱を解消するためのデジタルデトックスなどという言葉もある。社会のデジタル化、電脳化というものがもたらす恩恵は今や人間の神経系にまで入り込もうとしているが、言うまでもなくそれらは双刃の剣であり、人間性を失わせる危険も伴っている。
 このことはもう少し考えてみることにする。
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