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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

エスカレーター考・・・そもそもはステップと手摺のズレから

2011年12月16日 | 日々思うこと、考えること
この間、息子(高2)といっしょに渋谷に買い物に行った時、エスカレーターに乗ったら、
「ねえ、エスカレーターのベルトって、降りる時までに微妙にずれることあるよね」と言う。

おお、息子よ、お前も感じていたか!と嬉しくなった。
ちょっと、長めのエスカレーターに乗ると、降りる頃になって、手摺の方が若干前にいったり、後ろにいったりすることがある。密かにこれを楽しんで、手を前の方に延ばしてみたり、逆に、肘をあげて後ろの方にいったまま、手摺を掴んでいたり、とか。
だが、ラッシュ時にこれをやると後ろの人にみられているのが気恥ずかしくて、途中で修正して、自分の体の横に戻す。
「ステップと、ベルトがぴったり同期して移動しているエスカレーターに乗るとすごいと思うよね」
エスカレーターの乗り方は、奥が深い。

ところで、エスカレーターを急ぎの人のために片方の列を空けて乗るのが当たり前になって久しいが、これはどうなんだろう。安全上、エスカレーターのステップを上がるのはやめにした方がいいのだが、やっぱり、急いでいる人はいるから、どうしようもない。私だって、急ぐ時があるし・・・

だが、片方を空けるのは、せめて駅や空港のエスカレーターだけにして欲しいものだ、デパートなんかでも、時々、駆け上がっている人がいるが、商業施設では、エスカレーターも楽しみのうち、のんびり、昇降させて欲しい。第一、買い物袋を持っていての上り下りは危ない。

長いのや、短いの、動く歩道、円形のもの、いろんなエスカレーターがある。
その度に、作っている人は、いろんなこと工夫して作っているのだかと思いを馳せる。

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月と落ち葉と人生と

2011年12月15日 | 日々思うこと、考えること
空を見上げると、朝日の中に浮く月。私たちは月の表情を一つしか知らない。

足下を見ると、落ち葉。落ち葉はすべて落ち葉だが、千差万別、一枚として同じものは無い。

月がそこに浮いていても、いなくても、私たちの日々の営みには直接関係はないように見える。
それぞれに存在意義はあったかもしれないが、しょせんは一葉。無名の存在に過ぎない。

そうはいっても、必然か、偶然か、すべての事象が、互いに干渉しあって、すすんでいく。
月も足下の落ち葉も、どこかでお互いに関連している。

すべてを統合して理解する。私たちの好奇心というのはそこで完結するが、そのときは、おそらく来ない。物理学の領域では質量に関連するヒッグス粒子というものが発見されつつあるらしい。この存在が明らかになると、物理学が相当進歩するらしい。だが、それは、物質世界の話であり、宇宙創世の話にはまだまだ遠い。

そして、身の回りで起こっていることに一喜一憂しているのが人間である。
私自身、昨日のことにくよくよし、明日のことに不安を感じる。

人の営みは、あまりにも小さく、独りよがりだ。
それでも、毎日、毎日、ああでもない、こうでもない、と考えを巡らせすすんでいく。
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心に波風

2011年12月14日 | 日々思うこと、考えること
雨の朝。
通勤途中、乗り換えのコンコースで、足早に私を追い越していく人の傘の先が、私の足に当たった。

むかついた。

こちらも少し、歩を早めると、その人はそれまでより、もっと大きく傘を振って歩く。

「そんなに振ったら危ないですよ」と、注意するが、一瞥されただけで、無視される。

余計にむかついた。
だが、得物(この場合は傘)を持っての喧嘩で死にかけたことがあるので、引き下がった。
こういう場合、どちらかが引き下がらないと、どうしようもない。

駅を降り、歩きながら、妻だったら、どういうだろう?と考える。
「その人、いそいでいたんでしょ。傘の振りが大きいからって、人にぶつけようとして歩いていたわけではなかったでしょう」とでも、言ってくれるか?

私だったら、「混んでて、イライラして、人に傘をぶつけてもいいくらいに振って歩いていたに違いない」と思ってしまう。

はたして、どう考えるのが、私自身の、そして、私に傘をぶつけたその人、そしてまわりの人にとってよいのだろう。

いずれにせよ、なんで、こうなっちゃうのか。
どうして、心に波風が立っちゃうのか。いつも、悩む。

いつも穏やかで、優しい気持ちでいたいのだが、なかなかうまくいかない。

途中の神社で、心を澄ませて、手を合わせた。
ほんの1分ほどだったけど、小鳥の声、風の音、湿り気を感じ、心を落ち着けた。
「今日も、おだやかな気持ちでいられますように」


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こんがらがってしまう漢字

2011年12月13日 | 日々思うこと、考えること
今年の漢字は「絆」となった。これを清水寺貫主が大型の和紙に「絆」と揮毫した。

このニュースを紹介していたFMヨコハマのDJ栗原治久氏が、ニュースの中に使われていた「揮毫」を説明しようとして、「揮は指揮の揮、毫は・・・ああ、説明できません」と。

それを寝床の中で聞いていたコロ健、もともと文系、漢字博士を自認してたこともあり(大学受験当時、漢検が無かったのが残念、その後はただの本読み好きとなり、今の漢字力は相当怪しい)、

「なんだ、そんなこともわからないのか、”むしる”だよ」と、心の中でほくそ笑んだ。

まあ、難しい、というか、似てなくはなく、判別しにくい字、こんがらがってしまう字、というのが私にはある。
私にとっては、笹と笠、笹山さんと笠山さん、あれ?どっちだったっけ、なんてことがあって、目の前に本人がいても、どっちだかわからなくなって、名前で呼べない。
萩と荻も私は苦手だ。萩原さん?荻原さん?ショーケンが萩原健一だったのは知っているが、字が荻原だったかな?なんて、悩むことはしばしばだった。
ほかにもあるが、あんまりあげると、そもそも漢字が苦手だっただけじゃないか、となりかねないので、このへんにしておく。

さて、揮毫。「揮」はふるう(指揮の揮といった栗ちゃんすごい)、「毫」は筆の意とのこと。訓読みだと「け」。私が説明するとすれば、「なべかんむりに、口書いて、わかんむり書いて、髪の毛の毛」と、栗ちゃんとどっこいどっこいか、それ以下の情けない説明しかできない(彼の場合、その前に、貫主(かんす)を的確に説明をしていた)。

むろん、毟るではない。



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コンビニ前の喫煙所の人がどんどん増えている

2011年12月12日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

通勤途中にある、某コンビニ。
えてしてコンビニ前には吸い殻入れがおいてあり、必ず誰かがタバコを吸っている。

最近、その喫煙所に集まる人が増えている。
はじめは1人か2人だったのだが、近くでやっている大規模工事の現場の人だと思われるが、始業前に作業着を来た数人が集まりだした。

今では、毎朝通り過ぎるときには、10人くらいたむろしている。作業着姿の人に混じって、電車に乗る前の在来のサラリーマンもいる。喫煙者は喫煙者を呼ぶ。

喫煙所を中心としてのろしのようにタバコの煙が立ち上っているのをみると、かつて、品川駅の山手線ホームの大崎寄りのところにあった、”喫煙コーナー”を思い出す。喫煙コーナーが設置された当初はそう混んでいなかったのだが、2、3ヶ月たったら、ものすごい混雑となり、吸い殻入れまでたどり着くことができず、困ったものだった。煙は喫煙コーナーだけでは収まらず、周囲まで波及していた。というか、非喫煙者の人に逃げ場は無かった。これをみた、外国人の嫌煙活動家が、ホームの喫煙コーナーは無意味だ、と主張し、それがきっかけでかJRも喫煙コーナーをなくしてしまった。
今、思い出すと、その活動家がとても憎かった。「余計なこと、言うな」
とにかく、必死でニコチンを入れていた。

さて、こうして某コンビニ前が彼等の吐き出す煙によってその辺りだけ、首都高湾岸線から見る工場地帯のようになって、空気が白く混濁している。
コンビニの前なので、人通りは当然多く、出勤の社会人のほかにも近所の小学校、中学校、高校に通う多くの学生が煙たい思い顔をして、横を通り過ぎる。だが、喫煙者はみんなに煙たがられていることがわからない。

タバコを吸わなくても大丈夫なのに、ニコチン中毒者である喫煙者は一服してからでないと仕事に取りかかれない。
ニコチン中毒のころ、私は悲しかった。
一度体内にニコチンを入れてしまったので今でも、タバコを吸った時の気持ちよさを思い出すことはある。
だけど、ニコチンを体に入れなくても、私は生きている。
タバコが無くても、あなたたちは死なない。
勇気を持って、ニコチン中毒から離脱してみたらどうだろう。

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医学の進歩のために

2011年12月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病院からの電話、私の携帯の表示は”当直受付”となっている。
オンコール番の朝一番の電話をとると、”当直受付”。

病理解剖(剖検)か、緊急手術の検査(術中迅速診断や臓器移植の検査)依頼しかないのだが、緊急手術の場合は前の日くらいには連絡があるので、剖検の依頼だろう。
用件はやっぱり剖検で、担当医と開始時刻を決める。オンコール番の技師さんに連絡を入れて、介助をお願いする。いつも快く引き受けてくれて、ありがたい。

今朝は、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩に行けずに少し残念、とおもいながらエサだけは私からやって、出かける。散歩に連れて行ってもらえると思って甘えてくるナイトとは目を合わせず、心を鬼にして無視して家を出る。
日曜の朝、電車では間に合わないので、車を使う。横横がいつもの日曜より混んでいるな、と思いながら都内の勤務先に向かう。

開始予定時間より早めについたので、電子カルテを開いて臨床経過を確認する。
担当医グループは昨日から一睡もしていないようだ。それで今から剖検の立ち会いはつらかろう。彼らの熱意に頭が下がる思いだ。

ご遺体に向かい、立ち会い医を含め全員で合掌して、剖検を開始する。
とても難しい症例で、肉眼所見だけはわからないところが多く残った。あとは、標本を作って組織学的に顕微鏡レベルで検討しなくてはいけない。

剖検を行うたびに思うのは、剖検を許可して下さったご遺族の気持ちだ。
なぜ、亡くなったの?ということもあるが、それよりも医学の進歩のために剖検を許可して下さっていることがほとんどだ。
いつものことながら、今日の症例からも多くのことを学ばせていただいた。
心より深く感謝し、ご冥福をお祈りします。

さて、そんなで、うんうんうなりながらも、剖検の肉眼所見のまとめも書き上げ、家路につく。北鎌倉から鎌倉に入ったが、すごい人出だった。なんとか、日の暮れる前に帰れた。

急いでナイトと散歩に。

鎌倉宮まで足を延ばしたら、もうみなさんしっかり店じまい。
鎌倉は夜が早い。

紅葉におおわれた山が、夕日に映えていっそうきれいに見えた。
一日だらだらしていたわけでなく(それはそれで大事)、休養の時間がかえって短かったからか、余計に風景が目に染みる。

こういう景色を見ることができるというのも、生きていればこそ。
人間だれしも死に向かって生きているとはいうものの、今生きている幸せをかみしめながら、歩いた。


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鎌倉に大津波がくるかもしれない

2011年12月10日 | 鎌倉暮らし

東日本大震災の発生からまもなく9か月となるのを前に、太平洋に面している神奈川県は8日、津波の想定をこれまでより大幅に引き上げると発表した。最も高い津波に襲われる可能性があるのが鎌倉市で、観光名所として知られる鶴岡八幡宮や鎌倉の大仏近くにまで津波が到達する危険性もあるという。  海と山に囲まれた地形の鎌倉市は、これまでの想定では津波の高さは「最大で5メートル程度」とされていたが、今回の見直しでは14.4メートルとなり、「東日本大震災級の津波に襲われる可能性がある」と指摘され、「平地の多くの部分が浸水する」と想定されている。この場合、鶴岡八幡宮や鎌倉の大仏近くにまで津波が到達する危険性もあるという。  また、今回の発表では、約370万人の市民を抱える横浜市でも、津波の高さがこれまでの倍にあたる4メートルに達すると想定された。横浜市営地下鉄で浸水する駅は、これまでの想定では横浜駅だけと考えられていたが、新たな想定では6駅(横浜駅、高島町駅、桜木町駅、関内駅、伊勢佐木長者町駅、阪東橋駅)が浸水するおそれがあるという。
(上記写真asahi.com、記事は日テレNEWS24より)

鎌倉に14メートルの津波が来る可能性がある、という報道が出されてから、職場に行くと「先生のところ、だいじょうぶですか?」とか、「新聞に出てましたね」など、いろいろと心配だかなんだかをされるようになった。海の近くを好んで住んでいるので、複雑な気分だ。

拙宅は、山の中腹の崖の下にあるので津波が直接やってくる可能性は低い(そのかわりがけ崩れが怖い)が、それでも旧鎌倉の広い範囲に浸水が及んだりしたら困る。
海抜は、鎌倉警察前の二の鳥居が11メートル。三の鳥居が12メートル。大仏は18メートルだ。海抜20メートル以下のところはどこも水が来そうだ。
大仏殿が流された大地震は500年前。100年前の関東大震災では坂ノ下あたり、海に近いところはずいぶん被害を受けたようだ。

せいぜいのところ、あと30年あまりの人生、生きている間に来るか来ないかわからない、大地震、大津。
これを恐れていたら、鎌倉で海を見ながら過ごす生活は手に入らない。

天災は忘れたころにやってくるが、忘れずに考えていく必要があることも、たくさんある。


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一期一会でサヨウナラ

2011年12月09日 | 日々思うこと、考えること
忘年会ではなく、送別会があった。
とても尊敬していた先生で、ずいぶんいろんなことを教わった。

良い病理医は、良い臨床医が居るところに居る、というとおりで、私は良い病理医ではなかったが、彼とともにいて、少しはましな病理医になれたように思う。

学生の時分応援団にいた(のと、もともと大きな声を出すのが嫌いではないの)で、お世話になった方には、(ご本人の了解をいただいた上で)エールを切らせていただくのだが、どうやら喜んでいただけたようだ(と思う)。

一期一会を大切にして、別れもまた楽しからずや、と思っていたが、やはり淋しいものだ。いつもなら、終電までは飲んでいるのだが、今夜はどうも気乗りせず、一次会だけで早々に失礼した。

お元気で、サヨウナラ。


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わたしにとっての12月8日

2011年12月08日 | 生き方について考える
今日、12月8日は太平洋戦争の開戦記念日。
戦争を始めた日を記念日というのはどうかとも思うかたもおられようが、真珠湾に攻撃を仕掛けたのは我が方であるということだけは間違いなく、そういう意味では”先の戦争を始めたこと”を忘れないための記念日として記憶すべきだろう。
終戦の日は、戦没者慰霊のための日となっており、我が国が国民自身に与えた損害を総括する日とはなっていない現状からすると、今日の開戦記念日は当時の我が国の中枢にいた軍人、政治家、官僚達が戦争という誤った政策を一歩前にすすめたということを忘れないための記念日である。
なぜ、彼等は戦争を始めたのか。そのことを考えていかなくてはいけない。

戦争にも税金が使われる。さらには、人の命までもが使われるのが、戦争だ。
事業仕分けどころの話ではない。さらにはここのところの政治家の舌禍。今に始まったばかりではないが、何度も同じことが繰り返される、「ああ、またか」と、慣れてしまうことが恐ろしい。いつの間にか内容がエスカレートしていても、気がつかないことがあるかもしれない。私たちは、思考停止に陥らず、しっかりと政治と無責任な政治家を監視していかねばならない。

さて、記念日といっても、1年を365日に区切っているのは人間の勝手で、これこれこの日をこうしましょう、とするのもまた勝手だ。だが、忘れたころに思い出す日をつくるというのは、悪いことではない。

今日、12月8日はビートルズのジョンレノンが暗殺された日、でもあり、不肖コロ健の生まれた日でもある。
私はまた1年生きながらえたが、ジョンの時間は1980年12月8日のあの時で止まってしまった。
ものごころついた時から、自分の誕生日を開戦記念日とワンセットで考えていたが、1980年のちょうど高校生だった私の誕生日からは、暗殺ということも一緒に、考えるようになった。人生が突然終わるということ。

ほかにもいろいろあるとは思うが、私にとっての12月8日は、開戦と暗殺と自分の誕生日となった。

私にとって、12月8日は、人は人の命を奪ってはならないということを、考える日である。




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今年中になんとかしようとするからいけない・・・なんとかならない

2011年12月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
朝も暗いうちに起きだす。ここのところ、日の出は6時半だ。

病院に着いたと思ったら、切り出し、鏡検(診断)、病理外来、カンファレンス。
あっという間に一日が終わる。

メールを開けば、査読の催促、共同研究の打ち合わせ、学会発表の依頼・・・

そもそも、自分の論文を書かなくてはならないのに、査読。
自分の研究プランを立てなくてはいけないのに、共同研究。
病理学会だって、抄録をやっと提出しただけだ。

毎日が消耗戦となっていて、早晩力つきてしまいそうで、恐怖を感じる。

12月に入って、この傾向はどんどん顕著になってきている。
なんで今日はもう7日なんだ!とカレンダーを見る目を疑ってしまう。
そもそも、なんで、明日はもう木曜日なんだ?曜日だけ月曜日に戻してくれ!
でないと、仕事が終わらない。年内(をメドにしている〆切を少しだけ過ぎた)〆切の原稿はどうするんだ。年明け早々(1月10日)〆切の原稿はどうしてくれる?

師走だから忙しいのではない。
ただ単に、年中忙しい
年内に全部終わらせよう、というのもやめた方がいい。
どっちみち、終わらない

そんなこんなで、今年も暮れていく。

とまた、区切りをつけようとするのがいけないのかもしれない・・・

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言い間違い、勘違い、思い違い

2011年12月06日 | 日々思うこと、考えること
最近、政府高官の舌禍というか、そういった類いのことがいつにも増して多い。
ここのところは、沖縄問題に関連しての話だ。
特に、今回その進退問題にまで発展している問題発言は女性蔑視につながるもので、なぜ、こういう表現が口から出てくるのか理解に苦しむものだった。
公の場、私的な場、そういった区別を越えたものだ。

言い間違、勘違い、思い違い、間違いには違いないし、人間は間違いをする。
だが、謝って許される間違いと、謝っても許されない間違いがある。
日本は法治国家であり、法律に反することをしたら、罰せられるし、社会人が法律に反することを口にしても、倫理的に許されないことはしばしばある。

かといって考えることまでは誰も止めないし、文化として表現したいことが必要以上に制限されているわけではない。

言葉狩り、などと言う人もいるが、自分たちがどういう立場にあるかわかっていっているのだろうか?
あなた達の発言は、中学生、高校生が好奇心から言っている冗談と同じか?

世界をリードしている国の高官ともなれば、それなりの品格、人格を有し、それに見合った行動をとらなくては、いけないのだ。
多くの人から尊敬されるべく、行動をとらないといけないのだ。
命をとまでは言わないが、名誉を賭してその職にあって欲しい。

日本はそこまで、追い込まれている。


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少し遠回りをして

2011年12月05日 | 通勤・交通・旅行
結局、風邪は完治せぬまま週が明けた。
週末に予定されている院内の勉強会の準備もあり、これ以上仕事に穴をあけるわけにもいかず、いつも通りに元気よく出勤。
だが、頭が痛い。いつものペースでいつもの道を歩くものの、気分まで滅入ってくる。

そこで、歩くルートを変更した。


都内でも有数(と、自分で思っている)の紅葉スポットを巡る道。


少し(10分)だけ、遠回りになったが、遅刻するわけでもなく、気分もリフレッシュできた。


天気のおかげか、夕方にはずいぶんと元気になった。
さあ、明日からも、頑張っていこう!

人生も、こうやって少しずつ変更できれば、案外楽しく行けるのかもしれないのだけど。
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初冬の一日 のんびり、まったり。

2011年12月04日 | 日々思うこと、考えること
おとといからあった頭痛とのどの痛みと鼻汁、増悪の一途をたどり、学会の気疲れも合わさって、今日はダウン。一年一年、体力も気力も老いていくのを実感する。

昨日までの雨も嘘のように晴れ渡り、小春日和となった。期末試験前の子供たちは、試験勉強をするということで、別々に同じ図書館へ出かけて行った。

初冬の日差しの中、テラスで妻がクリスマスのリースを作っている横で、ぼんやりしていると、風邪も今日一日で治ってくれそうな気がする。

近所の子供がナイトを訪ねて来て、ひとしきり遊んで帰っていった。

あっという間に、時間が過ぎていく。
今日のようないい天気だと、鎌倉への人出も相当なものだろうが、街中へ出る気は起きない。

こんきも に入れてくれたコメントのお返事もやっと出せた。
いくつになっても悩んでいる、中年オヤジにお付き合いいただける人がいて、私は幸せだと思う。ネットを介して、隣の人よりも、顔を見たこともない、遠くの人とのつながりが生まれている。ときどき、いやなこともあるが、だいたいは好意的だ。

今日は、これ以上いろいろ考えるのはよそう。
オンコール当番でもないので、病院からの呼び出しもたぶんない。

たまっている原稿を書いて、読まなくちゃいけない論文読んで勉強して、仕事のメール整理して、やることは山ほどあるのだが…今日はもう、どうしようもない。
読むなら医学とは関係のない本(「ぼんやりの時間」岩波新書)にする。

久しぶりのスローライフ。

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ぼんやりの時間 (岩波新書)
辰濃 和男
岩波書店


みんな悩んでいる・・・それでも、がんばっていかないといけない

2011年12月03日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

結局は、オリジナルのスライドに戻すことになったが、発表にはなんとか間に合い、個人的にはホッとした。質問も比較的多くしてもらえ、実りあるディスカッションができた。
病理から、臨床へのメッセージが多少なりとも伝わったと思う。
そして、いつものことながら自分の足りないところ(今後の研究目標)もよくわかった。

とても厳しい疾患群についての学会で、臨床医の診断、治療についての悩み(発表)を聞くことができた。
私だけが、何もわかっていなくて、どうしようもなくなっている、そんなふうにおもっていたが、ふたを開けてみれば、わからないことが多いのは、みな共通だった。
みんな、それぞれの立場で疾患について考え、悩んでいた。
それでも、その病気(疾患群)に立ち向かっていかなくてはいけない。病気に苦しむ人を救ってあげるためにがんばっていかないといけない。
そこ(学会場)に集まった人の多くがそう感じていたように思う。

そんな2日間だった。
これで、今年の学会参加はおしまい。
しばらく、腰を落ち着けて勉強することにする(ことができるといいのだが)。


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家族とは・・・2011年11月の読書記録

2011年12月02日 | 読書、映画、音楽、美術
これ以上本を読まないでいたら、もうだめ、と思い。
仕事関連の文章(論文)は捨てて、ちょっと、薄めの本を月末に2冊。
”乳と卵”人って、こんな風に読点だけで、ずらずらずらずら考えながら生きているんだろうな。
わたしも、ずるずる…
11月の読書メーター読んだ本の数:2冊読んだページ数:330ページナイス数:4ナイス乳と卵乳と卵まだ無垢で母親のことが大切な少女が一生懸命自分の生と性を考える。自分で考えるようになった娘の珍奇な試み(小ノート)に戸惑う母。煮詰まってしまった母娘が救いを求めたのは妹/叔母。とりあえずはハッピーエンド。だけど、それぞれの生と性はこれからも続いていく。読了日:11月30日 著者:川上 未映子
お父さんのバックドロップ (集英社文庫)お父さんのバックドロップ (集英社文庫)子供向けでもあり、父親向けでもある。やっぱり表題作が段違いにいいかな。読了日:11月24日 著者:中島 らも

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