こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

イブにおおそうじ・・・といっても、私だけの

2011年12月24日 | 日々思うこと、考えること
今日は、私だけの大掃除。

職場の大掃除は、明後日の午後みんなでやるのだが、その前に私の周りのごみ箱のようなスペースだけでもと思い職場へ出てきた。それにしても、よくこれだけ積み上げた、という感じがする。

さて、いよいよ掃除開始。近藤 麻理恵著”人生がときめく片づけの魔法”に感化されて、思いっきり捨てはじめたのだが、半分ほどで断念してしまった。

もちろん、むやみに始めたわけではなかった。
『ここの書類がなくなれば、下で押しつぶされている教科書がちゃんと立って、いつでも調べられるようになる』
とか、
『ここの書類がなくなれば、滞っている仕事の進捗状況も把握できるようになり、一石二鳥』
だとか、
『昔のように顕微鏡が使いやすくなる』
だとか。いろいろ、「片づけが終わったあとのことを、思い浮かべて開始したのはいうまでもない。

先週から片づけは開始していて、先の大地震のときに、すべりおちたのち、床に平置きにしていた標本はすべていったん標本箱に返すことにした。
ターゲットの書類も決めていて、「先の大地震以来、(すなわち9ヶ月間)置き場所の変わっていない書類は、すなわち”用無し”の書類」とし、廃棄することにした。

しかし・・・
論文のコピーなど、資料類はいいテンポで捨てられるのだが、これらに混じって、診断書の下書きとか、カンファレンスの用紙(なんと、7,8年前のもあった)などなど、個人情報の入った紙が出てくる。ようするに、ずーっと捨てられずにいた書類。
これらが多い。
いきなり、”思い出もの”に近い厄介な状況に陥った。

案の定、個人情報の有無を確認していくうちに、「おお、これは!」という、2、3年前の資料が混ざって出てくる。「これ、今度の研究会に使える」「こんなこと、前に喋っていたのか!」とか、うれしいやら、情けないやら。

なんとかかんとか、途中で、”全捨て”はあきらめた。
あとは、シュレッダーがけ。30分近くかかって、個人情報の入った書類のシュレッダーがけ終了。あとの片付けは、明後日に回すことにした。


(顕微鏡がこちらから見えるようになっただけで、よしとする!)
先週末、固定した検体を一人で切り出しし、また、遅れていた診断書にも目を通して、仕上げて帰宅。結局、普通の週末の休日出勤。

でも、今夜はクリスマスイブ。両親が(孫の顔を見に)来てくれるとのこと。さて、今度はその準備だ。


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