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ジョホールバルのヘッド(城彰二)

2010-10-15 23:15:27 | 他チーム
今日はネタがないので昔話で、日本代表をフランスW杯に導いたメンバーの一人、城彰二さんの思い出です。城は鹿児島実業を卒業してジェフ市原に入団しますが、開幕戦からスタメンに抜擢されて3試合連続ゴールといきなり結果を残します。

ボールに対する反応の良さと、上背の割に打点の高いヘディングで、若いうちから有名な選手でした。城は日本高校選抜に呼ばれて、市原の試合を欠場してスイスに行くことになり、本人のためを思えばJリーグで試合に出た方がいいのではという議論が起こり、今ではJリーグの主力選手は高校選抜に呼ばないことになりました。

また、城といえばJリーグで初めての日本人主力選手の移籍(市原→横浜M)でも話題になりました。当時のルールでは年齢の若い城には多額の移籍金がかかったはずですが、まだJリーグバブルのはじける前の時代で、大物外国人選手より安い買い物だと思ったのでしょう。

代表入りは横浜M時代です。印象的だったのは、やはりフランスW杯予選を戦った加茂ジャパンの時期です。当時、ゴン中山は代表を外されていて、カズと2トップを組んだのは城でした。1997年のフランスW杯最終予選開幕戦のウズベキスタン戦、カズと城はボールにひざまずいて手でボールを触れてキックオフを待ちます。

この懐かしいポーズが、一昨年の城の引退試合で実現したのですが、カズが現役でこの試合に参加しているのは驚異的です。城のゴールと聞いて思い出すのは、第三代表決定戦のイラン戦の同点ゴールです。中田英寿のクロスを打点の高いヘッドで合わせたこのゴールは、今でも形を思い出せるほどです。

日本をフランスに導いた城ですが、その後のサッカー人生は苦難が続きました。フランスW杯本大会ではノーゴールの不振で、サポーターに水を掛けられる屈辱を味わい、1999年にはスペインリーグのバリャドリードに渡りますが、加入直後の2ゴール以降は鳴かず飛ばずに終わりました。

2001年では横浜FMで2ゴールしか挙げられず残留争いの戦犯に挙げられ、それ以降はJ2の横浜FCでプレーします。J2得点王などにも絡んだことはなく、地味な存在になっていきました。負傷を抱えながらのプレーだったので、もう限界とみて2006年シーズン限りで現役を引退します。華やかな時期は短かったですが、一時代を築いたFWだったのかなと思います。
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