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石の上にも17年(山田暢久)

2010-10-25 12:52:20 | 浦和レッズ
昨日は吐き気に苦しみ、とてもブログを更新できる余裕がありませんでした。毎日更新を楽しみにされていらっしゃる方がいましたら申し訳ありません。今日は大事を取って会社を休んで、こんな時間にブログを書いています。

浦和レッズが誇る35歳のベテラン、山田暢久選手ですが、Jリーグ開幕の翌年1994年に浦和入りしています。浦和を選んだ理由が、当時チームが弱くてすぐに試合に出られそうだからと正直な「暢久節」で語っています。

1995年、練習に遅刻して当時のオジェック監督に「帰れ」と追い返されたこともあった山田暢久ですが、その才能はオジェックに認められ、FWとGK以外ならどこでもやったのではというくらい、いろんなポジションでテストされます。結果的には右アウトサイドということになり、このオジェックの決断に歴代監督もならいます。

また、山田暢久といえば驚異的な筋肉の質の良さも魅力です。筋肉系の怪我をほとんどしたことがなく、ACLの強行日程を戦う中、32歳にして初めての肉離れという怪我を負いました。このときは、本人に筋肉系の怪我にどう対処していいかのノウハウがなく、野崎アスレチックトレーナーは精神的に落ち着かせることに神経を使ったようです。

いつかはトップ下に定着したいという山田暢久の希望は、ギドがワシントンの1トップにポンテと並んで山田をトップ下に置く布陣で実現しました。ポンテからのパスを引き出し、ワシントンを後方からアシストする役割でしたが、この形で2006年はリーグと天皇杯を制し、本人にとっては満足した一年だったでしょう。

しかし、山田暢久のトップ下は、ポンテがいるからこそ生きるトップ下でした。2008年シーズンの開幕戦、ポンテを重傷で欠いた浦和は山田暢久を一人トップ下に置きますが機能せず、オジェックが開幕から2試合で解任される原因の一つになります。

それでも、今季のCB定着は驚きました。山田暢久の悪い癖で、相手のスピードあるドリブラーに仕掛けられると、諦めが早く追わないことがあるからですが、CBにしたら後ろはGKしかいないので、諦めるわけにはいかないだろうというフィンケ監督の決断だと思います。たぶん、1年契約で来季の契約も更新されると思いますが、体の続く限り頑張って欲しい選手です。
コメント (2)
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