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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

S市のラーメン屋

2013-03-08 18:44:20 | 他スポーツ
昨日の夜、見た夢は仕事に好影響するいい夢でした。早稲田のラグビー部の監督という夢で、監督の私が打った交代策が当たって試合に勝ち、コーチ陣に「ほら俺の言う通りだろ」と言ったところで目が覚めました。スポーツの夢はよく見ますが、だいたい観客としてスタンドから見る夢で、試合の当事者の夢はなかなかありません。

夢の世界なら何でもありなので、なぜ浦和レッズの監督ではなかったのかと思うと不思議です。サッカーなら監督目線で試合を見ることはよくあるので、それもこんなビッグな夢を見た理由かもしれません。すっきり起きられました。

今日は以前一人暮らしをしていたS市のラーメン屋の思い出です。本業のラーメンの味はそれほどではなかったお店ですが、店長が元放駒部屋の幕下力士でした。会計のときに一つだけ相撲の質問をすると店長は快く受けてくれたので、それが楽しみで一時通っていました。

店長の現役時代の四股名は「駒主税(こまちから)」で、私が店長を呼ぶときは駒主税さんと言っていました。幕下まで行った力士なら数場所で引退した若手とは違って、相撲界の面白さも十分に味わったはずです。実際、巡業の思い出を聞いたときは、番付の近い幕下力士を探して稽古をして、相手の研究をしていたと話していました。

幕下以下の力士は付け人についたり、人のこともやらされるイメージがあったのですが、こうして話を聞いた限りでは相撲で勝つための努力も十分できる楽しい世界だと思いました。また、店長は横綱大乃国の付け人もやっていました。付け人は大抵ついている関取の勝利を喜ぶという話で、大乃国が千代の富士の53連勝を止めたときはみんなで喜んだと話していました。

当時の上位力士に関する質問も店長は受けてくれて、魁皇の小手投げはなぜあそこまでうまく決まるか聞いたことがあります。腕がきまるという感覚は一般人の私にはわからないと思った店長は、私に店長の下手を差す形をするように言いました。

実際にその位置に腕を置くと、店長が軽く小手に巻いただけで痛いことがわかりました。こういう状態になったら怪我をしないためには負けるしかないそうで、あの当時面白いように決まった魁皇の小手投げの威力を体感できました。

また、当時上位キラーとして売り出し中だった朝青龍のことも教えてくれました。彼は明徳義塾高校の出身で日本の相撲に慣れてから入門したのが良かったのではと話していました。そんないい店にはもう10年以上ご無沙汰ですが、繁盛していることを願っています。
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白いウルフ(益荒雄)

2013-03-08 07:20:54 | 他スポーツ
来週の日曜日は大相撲春場所(大阪場所)の初日です。よく「荒れる春場所」と言われますが、かつての大横綱千代の富士が春場所は休場することが多かったので、優勝争いが予想しにくい場所が多かったからでしょう。

春場所で一番印象的だったのは1986年の益荒雄(ますらお)旋風です。その場所は益荒雄が初めて上位に上がった場所ですが、体重110kg台の軽量の益荒雄は恐れるに足らずと上位陣は稽古相手にすらしておらず、この場所の活躍を予想した人はおそらくいなかったと思います。

のちに「白いウルフ」と別名がつく益荒雄の、立ち合いで差し勝って素早く出る相撲は、相手が知らなければ一気に勝つこともできます。当時の横綱双羽黒は益荒雄には3連敗するなど苦手にしていました。このときの春場所では益荒雄は本家ウルフの千代の富士にも勝ち、横綱大関総なめの活躍で10勝5敗と勝ち越し、三賞も受賞します。

もっとも、この活躍で上位キラーの期待をかけられた益荒雄は、立ち合いに変化をするなど勝ちに行き、負傷することも多くなりました。全盛期は短かったのが残念な力士でした。今場所、初めて上位に上がる勢(いきおい)が黒の締め込みに白い肌と益荒雄を彷彿させる外見で、旋風を期待したくなります。

春場所といえば1991年の千秋楽のドラマ性も覚えています。当時は東海道線の鈍行列車でラジオを聞いていたのですが、優勝争い単独トップの横綱北勝海を星一つの差で横綱大乃国が追う展開でした。ところが、前日の土俵で北勝海が負傷していて、大乃国は勝てば手負いの北勝海相手の決定戦と絶対優位でした。

大乃国の千秋楽の相手はこの場所4勝10敗と不振だった霧島でした。それも大乃国優位の理由でしたが、霧島が得意の長い相撲に持ち込んで大乃国を下し、優勝が転がり込んできた北勝海はほっとして旭富士に完敗します。

大乃国と北勝海は同じ北海道の十勝地方の出身で、年は大乃国が一つ上ですが、柔道の大会で入門前からお互いのことは知っているという間柄です。この場所は大乃国にとっても北勝海にとっても最後の優勝のチャンスでした。ものにした北勝海は優勝8回を誇りますが、逃した大乃国は優勝2回に終わることになります。
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