優先順位の高いネタが続出したので、だいぶ時間が経ったネタですが、大相撲の元横綱、大鵬の特集番組をビデオで見ました。大鵬は昭和46年に引退した力士なので、リアルタイムでは見ていません。父に取り口を質問したら、「差し身がうまい」という回答が返ってきました。
当時の映像はNHKの大相撲中継で何度か流されたはずで、断片的には見たはずですが、記憶には残っていませんでした。今回は大鵬の45連勝をすべて放送したので、これだけ見れば取り口の傾向も読めます。残念ながら白黒の映像なので、現在の大相撲のようにまわしの色で力士を見分けられないので、顔でどちらが大鵬か見分ける必要があり、ちょっと集中力が必要でした。
それを見る限りでは、大鵬の勝ちパターンは左の差し手です。相手も何とか一波乱起こそうと、立ち合いに変わったり足技を見せたりしていましたが、大鵬は落ち着いていて、相手がどう来ようともじっくり見て立ち、結果的には左差しをしていました。
もちろん、当時は今の臥牙丸のような200kgを超える巨漢はいなかったので、大鵬が今の時代に現れたら確実に横綱になれるとは限りませんが、あの当時では頭一つ抜けていたのは間違いありません。ただ、大鵬の若手時代は突き押しの速い力士を苦手にしていました。先輩横綱、佐田の山は最初は大鵬に勝てましたが次第に勝てなくなります。
大鵬の連勝記録の相手で、知っている力士は高見山だけです。それだけ高見山が長く現役を続けた証明ですが、当時若手だった高見山は大鵬には通用していませんでした。それだけ大鵬は偉大で、優勝記録2位の千代の富士の九重親方も、届かなかった優勝一回の差が大きいと大鵬を尊敬しています。
巨人、大鵬、卵焼きは当時の子供に人気のあるものの代表ですが、大鵬本人はこう呼ばれることは嫌がっていて、巨人はチームだが大鵬は代わりがいないと言っていました。大鵬の葬儀で弔辞を読んだ巨人の主砲、王貞治氏は、大鵬はたった一人で巨人や卵焼きと同格なのはすごいと話していました。
私はのちの横綱の北の湖、千代の富士から相撲を見始めましたが、たぶんあの時代を生きていたら大鵬は尊敬できただろうと、当時の映像を見て思います。
当時の映像はNHKの大相撲中継で何度か流されたはずで、断片的には見たはずですが、記憶には残っていませんでした。今回は大鵬の45連勝をすべて放送したので、これだけ見れば取り口の傾向も読めます。残念ながら白黒の映像なので、現在の大相撲のようにまわしの色で力士を見分けられないので、顔でどちらが大鵬か見分ける必要があり、ちょっと集中力が必要でした。
それを見る限りでは、大鵬の勝ちパターンは左の差し手です。相手も何とか一波乱起こそうと、立ち合いに変わったり足技を見せたりしていましたが、大鵬は落ち着いていて、相手がどう来ようともじっくり見て立ち、結果的には左差しをしていました。
もちろん、当時は今の臥牙丸のような200kgを超える巨漢はいなかったので、大鵬が今の時代に現れたら確実に横綱になれるとは限りませんが、あの当時では頭一つ抜けていたのは間違いありません。ただ、大鵬の若手時代は突き押しの速い力士を苦手にしていました。先輩横綱、佐田の山は最初は大鵬に勝てましたが次第に勝てなくなります。
大鵬の連勝記録の相手で、知っている力士は高見山だけです。それだけ高見山が長く現役を続けた証明ですが、当時若手だった高見山は大鵬には通用していませんでした。それだけ大鵬は偉大で、優勝記録2位の千代の富士の九重親方も、届かなかった優勝一回の差が大きいと大鵬を尊敬しています。
巨人、大鵬、卵焼きは当時の子供に人気のあるものの代表ですが、大鵬本人はこう呼ばれることは嫌がっていて、巨人はチームだが大鵬は代わりがいないと言っていました。大鵬の葬儀で弔辞を読んだ巨人の主砲、王貞治氏は、大鵬はたった一人で巨人や卵焼きと同格なのはすごいと話していました。
私はのちの横綱の北の湖、千代の富士から相撲を見始めましたが、たぶんあの時代を生きていたら大鵬は尊敬できただろうと、当時の映像を見て思います。