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マンツーマンに強い(本田泰人)

2014-12-11 21:46:03 | 他チーム
平日はなかなか試合を見られないので、どうしても思い出話が多くなります。今回は鹿島アントラーズのボランチ、本田泰人選手の思い出です。本田は帝京高校の出身で、もともとはトップ下を希望していたテクニシャンですが、同期に礒貝、池田伸康と守備をしないMFが多かったので、ボランチにポジションを移します。

本田は日本リーグ時代を知っている最後の世代ですが、鹿島アントラーズ以前には本田技研(現JFL,HondaFC)に所属していました。本田技研がプロを目指さない方針だったので、プロになるために鹿島に移籍してきた選手です。

ボランチというポジションは、一般のファンには良さがわかりにくいポジションです。特に、本田泰人の時代はハイビジョンがなかったので、テレビ中継では本田がどこにいるか判別が難しい事情がありました。選手の立場では、守備も攻撃も両方できると言ってもらえると嬉しいようです。

本田も「ダイナモ」と呼ばれるのは嬉しいようですが、「すっぽんマーカー」と言われるのは守備だけの選手と言われるようで嫌だったそうです。鈴木啓太も、憧れの選手には同タイプのガットゥーゾでなく、華麗なゲームメーカーのピルロの名前をいつも挙げていました。

本田が活躍した時代は、私がサッカーを理解していなかったので、本田泰人に注目して鹿島の試合を追いかけた経験はありません。しかし、当時の鹿島の中盤はジーコ、レオナルド、ジョルジーニョや超豪華メンバーでした。本田は彼らの守備の穴を埋めながらも、プロ意識やテクニックなど学ぶものもあったと思います。

本田泰人は代表ではマンツーマンのスペシャリストとして起用されました。加茂監督が、終盤の逃げ切りに本田泰人の守備力を必要とし、2戦目のUAE戦では城を下げて相手のキーマンのモハメド・アリにつけさせて引き分けに持ち込みました。このような成功例もありましたが、3戦目の韓国戦でマンツーマンで守りたい悪癖が出て、呂比須を下げて秋田を入れた守備は歴史に残るワーストな采配ミスでした。

代表監督が岡田監督になってからは出番を失いましたが、1996年の浦和との優勝争いで、バインに本田がマンツーマンでついて消されるなど、守備力は確かな相手でした。鹿島一筋の現役時代だったので、今でも鹿島では英雄だと思います。
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