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驚愕の戦術(1995年アヤックス)

2015-05-09 12:09:30 | ワールドサッカー
サッカーの戦術分析が趣味の当ブログでは、面白い戦術が出てくると記事にしています。過去に見た、戦術の中で一番面白かったものは、1995年のトヨタカップで来日した、アヤックス(オランダ)の3-4-3です。3-4-3自体は、Jリーグでもたまに見ることがあります。

もっとも、Jリーグで見る3-4-3は中盤の4枚がダブルボランチを置いたボックス型です。そうしないと、中央の守備が持ちこたえられないからですが、アヤックスの3-4-3は驚くべきことに、トップ下にリトマネンを置いた1ボランチのダイヤモンド型の中盤でした。

当時は、私がまだサッカーを理解していなかったのと、トヨタカップのチケットは日本最難関のチケットだったので、残念ながらリアルタイムの印象は持っていません。そのため、このアヤックスに興味を持った私は当時のサッカー雑誌を乱読しました。

印象に残っているのは「ストライカー」という雑誌で、当時のアヤックスの戦術の約束事がこと細かに書いてありました。中盤のサイドハーフにかなりの守備意識が必要という話でした。ロナルド・デブールがこのポジションでしたが、兄のCBフランク・デブールとアヤックスの守備を支えた、最強の兄弟選手でした。

また、当時のアヤックスは外国人のリトマネン、カヌ、フィニディ・ジョージを除くメンバーは、オランダ代表そのままというメンバーでした。そのため、当時のオランダ代表監督、ヒディンクが、このアヤックスのファンハール監督の戦術をそっくりそのままコピーしてオランダ代表の戦術にしていました。

結果的には、ヒディンクはアヤックスのコピーを途中でやめて、4-2-3-1に戦術を組み替えてから結果が出るようになり、最終的にはフランスW杯4強でした。それだけ、このアヤックスの快進撃の影響は大きかった証明です。

もっとも、このアヤックスの黄金時代は短かったです。理由は、ボスマン判決という、契約期限切れの選手に移籍金がかからなくなる判決が出て、アヤックスの主力選手はバルセロナ、ユベントス、Rマドリードなどに去りました。

監督のファンハールもバルセロナに移りましたが、アヤックスの3-4-3をそのまま名門バルセロナに持ち込もうとしたのは反発も招き、アヤックス時代ほどの成功はできませんでした。当時の映像は、引きで背番号がわかる今のハイビジョンではないので、今見てもノウハウはわからないと思いますが、私がサッカーにはまるきっかけになった、懐かしいチームでした。
コメント (2)
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