2006年ドイツW杯の記憶では、優勝したイタリアより4位のポルトガルが強烈です。当時のポルトガルは、名将ルイス・フェリペが率いており、この当時は右にフィーゴ、左にCロナウドという強烈なアタッカーがいました。たぶん、ポルトガルの歴代最強チームはこの当時だっただろうと思います。
フェリペは、2004年の地元開催の欧州選手権で準優勝と結果を出しており、このドイツW杯がチームの完成形だった印象です。当時のポルトガルは4-2-3-1で、1トップにはフランスリーグ得点王にもなったパウレタがいましたが、このパウレタはあくまでおとり役でした。
中盤の5人が、フィーゴとロナウド以外も、コスチーニャ、マニシェ、デコと今でも名前を思い出せるメンバーで、この5人はボール奪取から組み立て、フィニッシュをすべてやりきってしまえる強力な5人でした。アンカーのコスチーニャ、前に出ていってどんどんミドルシュートを放つマニシェ、ゲームメーカーのデコと、カラーが明確に分かれていたことも機能した理由でしょう。
この中盤がフェリペの目に留まったのは、ポルトガルにとってはややラッキーな形でした。欧州選手権の前年、2003年の欧州CLを、モウリーニョが指揮してコスチーニャ、マニシェ、デコがいたFCポルトが優勝したからでした。クラブチームが強いなら、そのまま採用して代表チームにできるというのは、先日ネタにした1995年アヤックスの例もあります。
ポルトガルは、以前は技術はあるものの勝負弱いチームと言われていました。未だに、エウゼビオがいた1966年W杯3位が話題になるのは、ポルトガルがなかなかW杯欧州予選を通過できなかったからです。当時、1991年、1993年とワールドユースを連覇した黄金世代の最後の挑戦と言われていましたが、このドイツW杯は次世代の力で成し遂げた4位でした。
今では、ポルトガルは2002年、2006年、2010年、2014年と安定して欧州予選を通過できる強豪になりました。技術と組織で勝負したい日本サッカーの師匠、いつかどこかで日本と対戦する試合を見てみたいです。
フェリペは、2004年の地元開催の欧州選手権で準優勝と結果を出しており、このドイツW杯がチームの完成形だった印象です。当時のポルトガルは4-2-3-1で、1トップにはフランスリーグ得点王にもなったパウレタがいましたが、このパウレタはあくまでおとり役でした。
中盤の5人が、フィーゴとロナウド以外も、コスチーニャ、マニシェ、デコと今でも名前を思い出せるメンバーで、この5人はボール奪取から組み立て、フィニッシュをすべてやりきってしまえる強力な5人でした。アンカーのコスチーニャ、前に出ていってどんどんミドルシュートを放つマニシェ、ゲームメーカーのデコと、カラーが明確に分かれていたことも機能した理由でしょう。
この中盤がフェリペの目に留まったのは、ポルトガルにとってはややラッキーな形でした。欧州選手権の前年、2003年の欧州CLを、モウリーニョが指揮してコスチーニャ、マニシェ、デコがいたFCポルトが優勝したからでした。クラブチームが強いなら、そのまま採用して代表チームにできるというのは、先日ネタにした1995年アヤックスの例もあります。
ポルトガルは、以前は技術はあるものの勝負弱いチームと言われていました。未だに、エウゼビオがいた1966年W杯3位が話題になるのは、ポルトガルがなかなかW杯欧州予選を通過できなかったからです。当時、1991年、1993年とワールドユースを連覇した黄金世代の最後の挑戦と言われていましたが、このドイツW杯は次世代の力で成し遂げた4位でした。
今では、ポルトガルは2002年、2006年、2010年、2014年と安定して欧州予選を通過できる強豪になりました。技術と組織で勝負したい日本サッカーの師匠、いつかどこかで日本と対戦する試合を見てみたいです。