Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

セリエA挑戦(長谷部誠)

2007-12-13 21:42:43 | 浦和レッズ
今日は浦和のACミラン戦ですが、試合の感想は翌日にしていただき、今日はセリエAのシエナ移籍が濃厚と言われている長谷部誠選手の話題をします。長谷部は静岡県の名門、藤枝東高校の出身で、若手を大量に採用した2002年の入団です。

当時の長谷部はユース代表に呼ばれることが多く、なかなかサテライトでプレーする姿は見られませんでしたが、一度だけ川越で見たときはチームの中心になっていました。この活躍を当時のオフト監督は見ていたはずです。背番号も32から17に変わりました。

しかし、本当に長谷部がトップで通用すると確信したのは、翌年の鹿島との開幕戦です。当時はエジムンドが退団騒動を起こしていて、代役が長谷部と聞いたときは正直、これは期待できないなと思っていました。しかし、長谷部は鹿島の3ボランチが前掛かりになるタイミングを良く見ていました。フリーでボールを受けた長谷部は、永井や山田に絶好のパスを送りました。

これなら、手術で開幕戦に間に合わなかった山瀬の代役は十分できると確信しました。この年は、トップ下とボランチを兼任して、完全なレギュラーではなかったですが数多くの試合に出場しました。完全にポジションをものにしたのは翌年の2004年です。当時手薄なボランチの即戦力として、1999年のワールドユース準優勝にレギュラーとして貢献した実績のある酒井を補強していました。

しかし、長谷部は持ち前の攻撃力を生かして、酒井からポジションを奪いました。その結果、浦和のダブルボランチは鈴木啓太と長谷部という状態が4年間続きました。もちろん、シエナへ行くなら頑張って欲しいですが、シエナは現在セリエAで最下位で、下位4チームが降格するセリエAでは相当厳しい状況です。

シエナは決して裕福なチームではありませんから、もし降格となれば長谷部との契約は打ち切られるリスクがあります。長谷部がイタリアで成功するためには、チームを逆転残留に導くか、他チームからオファーが来るほどの活躍をしなければなりません。

これに成功したのは中田英寿一人という厳しい条件ですが、やるからにはそれを目指してもらいたいです。また、ポジションはボランチがベストです。今の長谷部は、マンツーマンのマークに弱く、トップ下では消されてしまいます。後ろで時間的余裕があれば、鋭いスルーパスを出せるので、是非ボランチで出て欲しいものです。
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ACミラン戦プレビュー

2007-12-12 21:29:42 | 浦和レッズ
ついに、浦和との対戦でACミランの戦力分析ができることを嬉しく思います。ただ、私が最後にACミランを見たのは今年5月の欧州CL決勝なので、そんなに詳しい訳ではないことをお許し下さい。

ACミランというチームは、バランスを重視する名将アンチェロッティ監督が長年チームを率いていて、チームコンセプトはあまり変わりません。チームの中心選手は一見華麗な個人技を見せるカカに見えますが、実際はカカがプレーしやすいボールを送っているのはボランチのピルロです。

ピルロのパスセンスは一見の価値があり、中盤の底から長短のパスで試合の流れを作ります。ACミランの布陣は強気に戦うときは、ピルロを1ボランチに置き、ダイヤモンド型にガットゥーゾ、セードルフ、カカを置く4-4-2で来ます。この布陣だと、もともとはゲームメーカーだったピルロの守備の負担が大きく、抜かれたりはしませんがファウルで止めることが何度かあります。

浦和にとってはFKの名手小野伸二をスタメンで使い、闘莉王のヘディングで1点取って相手をあわてさせたいところです。もっとも、ACミランには慎重に戦う場合のオプションがあります。それは、FWをインザーギ一枚にして、減らしたFWの代わりにボランチのアンブロジーニを起用する4-5-1です。

アンブロジーニは守備に強いボランチですから、この布陣で来られると、浦和の攻撃が完全に断ち切られる可能性もあります。しかし、ACミランの攻撃も、インザーギのオフサイドラインぎりぎりの攻防に絞られます。インザーギは何回オフサイドに掛かっても、一回抜け出せば決められるというスピード型のFWです。アンブロジーニ起用の場合は、浦和は相当の我慢が必要でしょう。

それでも、何回かはセットプレーのチャンスはあるはずですから、そこで人生最高の集中力を見せてくれることを期待したいです。ACミランの最終ラインも、ネスタがいるなど強力な守備力を持っていますから、その確率が低いことはわかっていますが、勝つ可能性は少なくとも10%はあるはずなので、それに賭けて欲しいです。
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リフレッシュ成功(12/10浦和対セパハン)

2007-12-11 20:58:12 | 浦和レッズ
正直、この試合の前は、横浜FC戦の内容の悪さを考えると、たとえ負けても点を取り、精一杯戦ったという姿が見られれば十分と思っていました。しかし、一週間では疲労が抜けきれないと思われた選手たちは、すっかりリフレッシュしてこの大舞台を迎えました。

横浜FC戦では、ボールを奪ったあとに周りが連動しておらず、結局苦し紛れのアーリークロスという場面が目立ちました。しかし、この日の浦和は、積極的にプレスを掛けるだけではなく、第二、第三の動きが効いていました。一見、簡単に相手のパスミスを拾ったかに見えるプレーでも、みんなが連動していたからできたのです。

特に良かったのは阿部勇樹です。ここを埋めて欲しいと思ったスペースを埋め、素早いインターセプトでチャンスを演出しました。セパハンというチームは、引いてくる相手には滅法強いチームで、引いてきたワイタケレ・ユナイテッド相手には自在にボールを回して、完勝を収めました。

しかし、それができるのは相手が引いてくれば、中盤やDFの選手がゆっくりボールを扱える時間ができるからです。浦和はセパハンの中盤に時間を与えない戦略を取りました。その結果、セカンドボールはほとんど浦和が拾い、左サイドに空いていたスペースを相馬が何度も突いて浦和が優勢に試合を運びました。

ただ、そういう良い流れを作っているときにシュートミスなどでチャンスを潰すと、鋭いカウンターを持つセパハンにペースを握られてしまうのですが、永井の先制ゴールが決まった時間が良かったです。これで浦和は自分のリズムを保ったまま、前半を終えられました。

後半の立ち上がりはセパハンがカリミを入れて修正してきて、ピンチもありましたが、クロスバーに当たる幸運もあって、ワシントンの見事なゴールにつながりました。この日の浦和は、動きが悪かった選手が一人もいないくらい、全員が自分の役割を果たしてくれました。

正直、不安だった細貝も、持ち味のポジション取りの良さを見せて、十分合格点のプレーを見せました。短い時間でしたが、岡野に出番を与えられたのも良かったです。久しぶりにすかっとする勝利で、この勢いをACミランにぶつけて、良い戦いをすることを期待したいです。
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コンバート成功(和田一浩)

2007-12-10 21:43:33 | 他スポーツ
今日は浦和のセパハン戦ですが、平日夜の試合の即日更新は勘弁していただき、西武からFA宣言して中日に移籍した和田一浩選手の思い出を書きます。和田は県岐阜商から東北福祉大、神戸製鋼を経て捕手として西武に入団しました。

当時の西武は正捕手の伊東がベテランの域に入っていて、後継者の育成が必要な時期でした。当時の東尾監督は、次世代を担うバッテリーとして、松坂、和田のバッテリーを開幕戦でスタメン起用したこともあります。しかし、伊東は40歳近くになっても存在感は落ちず、和田も打撃ではアピールしましたが、完全にポジションを奪うには至りませんでした。

和田にとって、転機になったのは2002年の伊原監督の就任です。伊東の後継者の育成は緊急の課題になっていましたが、和田はその打力を生かすために、捕手としての負担を取り除き、外野にコンバートしました。和田のバッティングフォームとしてお馴染みの、極端に片足を引いたオープンスタンスを身につけたのもこの頃です。

伊原監督のコンバートは当たり、和田はレフトのポジションをものにして、入団以来初めてのほぼフル出場で30本塁打を記録しました。この活躍も効いて、西武はリーグ優勝を果たし、和田の年俸も一気に1億円に達しました。それ以来、今年に至るまで、4番カブレラ、5番和田のコンビはほぼ不動でした。

ただ、和田は打率こそ3割近い結果をキープしていますが、本塁打の数が減ってきています。今では30本塁打は遠くなり、ホームランバッターのイメージは既にありません。ただ、DHに人材を欠く西武なら、この成績でも十分レギュラーを張れるでしょう。

そのため、今回の中日移籍には正直、驚いています。和田は岐阜の出身なので、地元に帰りたかった事情はありますが、中日に行けばDHがないので、レフトのポジションを森野と争う必要があります。また、右の大砲という期待なら、今の和田は既に大砲ではありません。かなりリスクの大きい移籍ですが、決断した以上、活躍を期待したいと思います。
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意外な一撃(12/9エトワール・サヘル対パチューカ)

2007-12-09 17:18:42 | ワールドサッカー
今日はクラブW杯の準々決勝のエトワール・サヘル対パチューカを見に国立まで行ってきました。その途中で銀杏の落ち葉がきれいだったので、本文とは関係ないですが載せます。私はこういう未知のチームを見るのも結構好きで、どんなチームだろうと探りを入れながら見ています。

エトワール・サヘルはアラブ圏のチュニジアのチームらしく、組織を重んじた堅守速攻のチームです。布陣は清水と同じ、中盤をダイヤモンドに組んだ4-4-2です。これに対し、パチューカは組織サッカーのイメージがあるメキシコのチームらしくないチームです。それは、3-5-2の布陣ながらトップ下の7番(アルバレス)が全然守備をせず、どうしても相手ボランチに楽にパスを出されてしまうという、明確な弱点のあるチームだからです。

しかし、このアルバレス、ボールを受けるセンスとパスを出すセンスには輝くものがあります。組織サッカーが好きなタイプの多い、Jリーグの監督なら使いたくないと思われる選手ですが、うまく相手の守備から逃げて、フリーになるセンスはさすがです。試合を通じて、優勢なのはパチューカに思えました。

アルバレスのパスだけではなく、運動量の多いFWの19番や、アルバレスの穴を埋める負担が大きいはずの8番も輝いていました。逆に、サヘルのトップ下の10番は守備はしてくれますが、ボールを受ける機会が少なかったです。サヘルのシュートは遠めからの強引なものが目立ち、なかなか決定的な形を作れませんでした。

特に運動量の落ちる後半は、アルバレスという切り札を持つパチューカがかなり押し気味に試合を運びました。サヘルのファウルが多くなり、パチューカの19番の強烈なFKが次々と飛んでくる展開でしたが、サヘルのGKが耐えて0-0のまま終盤まで勝負を持ち越しました。

この結果、意外なドラマで終了4分前に均衡は破れます。サヘルの24番、1ボランチで試合中ほとんど上がってこなかったナリーのシュートは、パチューカのDFに当たってコースが変わり、ゴールネットを揺らしました。その結果の1-0です。

次の相手はボカということになりますが、組織サッカーで比較的慎重に戦うサヘルは、ボカにとってはやりやすい相手に思えます。ボカに勝つ可能性なら、パチューカの方がアルバレスの個人技があるので高いと思ったので、少し残念?ではありましたが。
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こんなことがあるのか(12/8広島対京都)

2007-12-09 10:23:38 | 他チーム
J1,J2入れ替え戦は、何としても来季J1で戦うんだという闘志がぶつかる試合なので、大抵は熱い好ゲームになります。そのため、昨日はテレビで見ていました。いつもはがらがらの広島ビッグアーチが、よく埋まり、浦和を思わせるような紙での紫と白の模様の出現など、いつもと違うという雰囲気は良く出ていました。

第1戦は2-1と京都が勝っていますから、広島はこの試合には勝利が絶対条件です。前半は、完全に広島がペースを握りました。京都の3バックの両サイドをうまく突いて、サイドから何度もクロスが上がりました。「走れるファンタジスタ」と言われる柏木も中盤の広い位置に顔を出してボールをつなぎました。

もともと、広島は入れ替え戦史上、最強チームではないかと思うほど、現役A代表が二人(佐藤寿人、駒野)、五輪代表が二人(柏木、青山敏弘)、さらに森崎兄弟ら、かつての五輪代表など有名な選手を数多く持つチームです。京都サポには申し訳ありませんが、地力を十分に見せれば広島の快勝を予想していました。

しかし、そんな広島にも、一箇所ブレーキがありました。それは、前半戦はあれほど絶好調だったウェズレイの不振です。いいときのウェズレイなら、ドリブルでどんどん持ち込んで、相手の守備の穴を逃さずシュートを打てる力があるのですが、昨日のウェズレイはボールをほとんどキープできず、相手に簡単にボールを奪われる場面が目につきました。

どんなに中盤から後ろが頑張っても、トップが決められなければ必然的に苦しい試合になります。佐藤寿人は頑張っていましたが、それでもクロスバーに阻まれて0-0で前半を折り返します。後半、京都が布陣を4バックに変更して、サイドのスペースを埋める慎重策に出ると、無理に攻めに出る広島の裏を突いて、何度もカウンターで攻めました。

結果は0-0の引き分けで、京都がJ1復帰を決めたのですが、やはり前半が0-0だったことが最大の理由でしょう。広島としては、京都のベンチに策を施させないうちに点を取ってリードを奪いたかったはずです。それができなかったことで、京都の戦術的修正がはまる結果になりました。必死で攻める広島の姿には、胸を打たれましたが、最後まで勝負を持ち越してはだめというのは、浦和のリーグ戦の敗北で身にしみました。
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セパハン戦プレビュー

2007-12-08 21:44:41 | 浦和レッズ
天皇杯も敗退し、リーグ戦で優勝を逃した浦和は、本来なら失意のオフを過ごしている頃です。しかし、今季はACLの優勝で、クラブW杯出場という名誉挽回の機会があります。夢を与えるプロスポーツ選手なら、この機会を前向きに捉え、新たな挑戦ができると思わなければいけません。

セパハンのワイタケレ・ユナイテッド戦を見ましたが、セパハンは好機と見ると畳み掛ける力はあります。イラク人FWのエマド・リダの決定力は高いです。ただ、終盤、ワイタケレのパワープレーに押し込まれた場面を見ると、どうしようもできない相手ではないと感じます。

セパハンの弱点は、前回レッズと対戦したACL決勝である程度チェックしました。それはDFアギリーのフィードの精度不足と、中盤のキープ力の不足です。セパハンは一人一人の能力なら、イランではトップレベルの力はあるでしょう。しかし、全員が連動して前からプレッシャーを掛けるレッズのようなチームと対戦した経験はあまりないように感じました。

そのため、中盤のスピードに戸惑ったセパハンは、比較的簡単にボールを失う場面が目につきました。イラン代表のナビドキアも、あまり長い距離を走るタイプではなく、瞬間的な切れで勝負する選手ですから、鈴木啓太あたりが正確に応対すれば十分止められる相手です。

前回の対戦では、ポンテの前からのプレスが効いて、セパハンは「まさかポンテがあんなに走るとは」と驚いたことでしょう。今はポンテは負傷で帰国してしまいましたが、運動量なら長谷部は負けません。大会後、セリエAのシエナに移籍することが確実になった長谷部の置き土産を期待したいです。

そんな理由から、前からプレスを掛けられれば浦和、掛けられずにゆっくりパスを回されればセパハンという試合になりそうな気がします。
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茨城県古河市の思い出

2007-12-07 21:51:02 | 雑記
以前、私が元気で行動力にあふれていた頃、よく埼玉県の北部や隣の県に自転車で出かけていました。さすがに一日で往復するのはちょっときついので、駅前のビジネスホテルで一泊して、帰りはあまり飛ばさずにゆっくり帰っていました。

その自転車の旅の中でも、特に印象に残っているのが、茨城県古河市です。電車で行けば大宮から一時間もかからない街ですから、わざわざ出かけようとは普通は思わない街です。しかし、浦和から自転車で出かけると、行動半径のちょうどぎりぎりくらいなので、どんな街か見てみたくて行ってみました。

その印象は、季節が新緑の5月と最高だったこともあって、素晴らしい思い出になりました。古河は駅前は普通の店が並ぶ商店街ですが、タイルを貼ってきれいに見せています。また、街の中心部からちょっと離れれば、緑鮮やかな街路樹が出迎えてくれます。

古河は室町時代に北方の守りの前線基地だったところで、古河公方という要職に置かれた大名が治めていた土地です。江戸時代も城下町で、残念ながら本丸の跡は荒れ果てた野になってしまいましたが、ほんの少し、面影を残すものがあります。

それは鷹見泉石歴史館という和風建築の建物で、畳の部屋に上がって庭園を眺めたり、井戸やかまどの跡を見たりできます。鷹見泉石は、江戸末期の武将で、大塩平八郎の乱を鎮圧したり、藩に学問を奨励したりした文武両道の人です。

地方の武将ということで歴史の教科書には載りませんが、地元の人は英雄として語り継いでいるのですね。宿場街の浦和には、そういう後世に名を残す人が出ませんでしたから、ちょっとうらやましかったりします。
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山下りの厳しさ(箱根駅伝)

2007-12-06 20:56:32 | 他スポーツ
私は大学時代、陸上部ではありませんから、箱根駅伝は単に見るスポーツという対象です。しかし、準体育会的な走るサークルにいたことで、結構面白い経験をさせてもらっています。普段はオリエンテーリングで山野を駆け抜けていた私でしたが、山を走れるならという理由で、実力はチームで一番下ながらも富士登山駅伝に出させていただいたことがありました。

この富士登山駅伝は、御殿場の陸上競技場から、6人がたすきをつないで、山頂で折り返すという駅伝です。一人の選手が、同じ区間を上りと下りの両方を走ります。私は舗装道の2区を走りましたが、1区が速い方だったので、中継所で隣にいたのが、山梨学院大学や大東文化大学という箱根駅伝の名門チームの選手でした。

この大学生たちは、箱根駅伝の山登り、山下りのスペシャリストを発掘しようと思った監督の意向で参加していたのでしょう。有名な選手ではなくても、そんな名門チームの選手と横に並べるのはうれしいことです。ただ、彼ら大学陸上部は、月間1000kmの走り込みをやるそうです。当時は全盛期だった私でも、所詮は素人ですから、月間走行距離は200kmが限界です。

それ以上やると授業に影響するからですから、彼らはいったいどんな体力をしているのだろうと、驚くばかりです。その基礎体力の差がもろに出るのが、山下りです。この富士登山駅伝は馬も通れないような急傾斜のコースですから、下り坂では自分の心臓や肺が耐えきれなくなるほどのスピードが出ます。

基礎体力のある人なら、無理が効くので、富士登山駅伝の短い3kmちょっとの距離ならそのまま押し切ってしまいます。しかし、私のように基礎体力の足りない人間は、スピードに体が耐えきれなくなって、自然とブレーキを掛けてしまいます。そのため、上りはそこそこ通用した私も、下りは下から3番目の惨敗でした。

この経験があるので、箱根駅伝の下りの6区は20km近く下りが続くのですから、そこを走り切るのがどれほど大変か想像ができます。山下りで、よくブレーキを起こす大学が毎年ありますが、ちょっとした体調の違いで体の限界は変わりますから、辛かっただろうという目で見てしまいます。今年が終われば、また箱根駅伝の季節がやってきますから、楽しみにしています。
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誇り高き戦士(中田英寿)

2007-12-05 20:39:46 | ワールドサッカー
90年代後半から昨年に至るまで、日本サッカーを牽引した存在といえば、引退した中田英寿氏であることに異論はないように思います。マスコミと距離を置く姿勢だったため、誤解を招くことも多かったですが、プレーに関しては申し分なかったと思います。

中田英寿といえば、本当にセリエAで通用するのかと、マスコミが疑心暗鬼だったペルージャ時代の開幕戦、前年優勝のユベントス相手に敗れたとはいえ、2ゴールをたたき込んで、マスコミを黙らせることに成功しました。カズがセリエAに挑戦したときは、スポンサー絡みとの噂が絶えませんでしたが、中田英寿は実力でセリエAにいることを誰もが納得しました。

私は中田英寿の1年目のシーズンの終盤、一度生で見たいと思って、アウェーのフィオレンティーナ戦を見に、フィレンツェまで行きました。3位のフィオレンティーナと、14位のペルージャでは力の差は如何ともしがたく、試合は5-1でフィオレンティーナが大勝しました。

しかし、そんな中でも中田英寿は輝きを放っていました。トップ下にいる中田英寿に、ペルージャの選手はみんな信頼を置いていて、自然とボールが中田英寿のところに集まってきました。ただ、残念だったのは当時のペルージャでは、中田英寿の卓越したサッカーセンスについてこれる選手が一人しかいませんでした。

その選手は、ミラン・ラパイッチと言って、後にクロアチア代表に入っています。この試合を見て、中田英寿のすごさはわかりましたが、それを完全に発揮するためには、トップレベルのチームに移籍する必要があると感じました。その通り、翌年にトップレベルのローマに移籍して、活躍もしましたが、王子様トッティの控えに置かれたのは不運でした。

その後は、下位チームでは活躍し、上位チームではベンチに置かれるという循環で、なかなかトップレベルにたどりつけませんでした。そんな中田英寿にとって、イングランドのボルトンでほとんど試合に出られなかったのは、最大の挫折になりました。

ドイツW杯こそ、主力にふさわしい活躍をしてくれましたが、おそらく来期は欧州のチームと契約するのは難しいということは頭にあったはずです。突然に思えた引退は、中田英寿にとって、キャリアの後退は許せないという意図だったのではと、今は推測しています。
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