今日は浦和のACミラン戦ですが、試合の感想は翌日にしていただき、今日はセリエAのシエナ移籍が濃厚と言われている長谷部誠選手の話題をします。長谷部は静岡県の名門、藤枝東高校の出身で、若手を大量に採用した2002年の入団です。
当時の長谷部はユース代表に呼ばれることが多く、なかなかサテライトでプレーする姿は見られませんでしたが、一度だけ川越で見たときはチームの中心になっていました。この活躍を当時のオフト監督は見ていたはずです。背番号も32から17に変わりました。
しかし、本当に長谷部がトップで通用すると確信したのは、翌年の鹿島との開幕戦です。当時はエジムンドが退団騒動を起こしていて、代役が長谷部と聞いたときは正直、これは期待できないなと思っていました。しかし、長谷部は鹿島の3ボランチが前掛かりになるタイミングを良く見ていました。フリーでボールを受けた長谷部は、永井や山田に絶好のパスを送りました。
これなら、手術で開幕戦に間に合わなかった山瀬の代役は十分できると確信しました。この年は、トップ下とボランチを兼任して、完全なレギュラーではなかったですが数多くの試合に出場しました。完全にポジションをものにしたのは翌年の2004年です。当時手薄なボランチの即戦力として、1999年のワールドユース準優勝にレギュラーとして貢献した実績のある酒井を補強していました。
しかし、長谷部は持ち前の攻撃力を生かして、酒井からポジションを奪いました。その結果、浦和のダブルボランチは鈴木啓太と長谷部という状態が4年間続きました。もちろん、シエナへ行くなら頑張って欲しいですが、シエナは現在セリエAで最下位で、下位4チームが降格するセリエAでは相当厳しい状況です。
シエナは決して裕福なチームではありませんから、もし降格となれば長谷部との契約は打ち切られるリスクがあります。長谷部がイタリアで成功するためには、チームを逆転残留に導くか、他チームからオファーが来るほどの活躍をしなければなりません。
これに成功したのは中田英寿一人という厳しい条件ですが、やるからにはそれを目指してもらいたいです。また、ポジションはボランチがベストです。今の長谷部は、マンツーマンのマークに弱く、トップ下では消されてしまいます。後ろで時間的余裕があれば、鋭いスルーパスを出せるので、是非ボランチで出て欲しいものです。
当時の長谷部はユース代表に呼ばれることが多く、なかなかサテライトでプレーする姿は見られませんでしたが、一度だけ川越で見たときはチームの中心になっていました。この活躍を当時のオフト監督は見ていたはずです。背番号も32から17に変わりました。
しかし、本当に長谷部がトップで通用すると確信したのは、翌年の鹿島との開幕戦です。当時はエジムンドが退団騒動を起こしていて、代役が長谷部と聞いたときは正直、これは期待できないなと思っていました。しかし、長谷部は鹿島の3ボランチが前掛かりになるタイミングを良く見ていました。フリーでボールを受けた長谷部は、永井や山田に絶好のパスを送りました。
これなら、手術で開幕戦に間に合わなかった山瀬の代役は十分できると確信しました。この年は、トップ下とボランチを兼任して、完全なレギュラーではなかったですが数多くの試合に出場しました。完全にポジションをものにしたのは翌年の2004年です。当時手薄なボランチの即戦力として、1999年のワールドユース準優勝にレギュラーとして貢献した実績のある酒井を補強していました。
しかし、長谷部は持ち前の攻撃力を生かして、酒井からポジションを奪いました。その結果、浦和のダブルボランチは鈴木啓太と長谷部という状態が4年間続きました。もちろん、シエナへ行くなら頑張って欲しいですが、シエナは現在セリエAで最下位で、下位4チームが降格するセリエAでは相当厳しい状況です。
シエナは決して裕福なチームではありませんから、もし降格となれば長谷部との契約は打ち切られるリスクがあります。長谷部がイタリアで成功するためには、チームを逆転残留に導くか、他チームからオファーが来るほどの活躍をしなければなりません。
これに成功したのは中田英寿一人という厳しい条件ですが、やるからにはそれを目指してもらいたいです。また、ポジションはボランチがベストです。今の長谷部は、マンツーマンのマークに弱く、トップ下では消されてしまいます。後ろで時間的余裕があれば、鋭いスルーパスを出せるので、是非ボランチで出て欲しいものです。