土曜日の午前中に時間が取れるのは久しぶりです。こういうときは献血に行くのが一番。そういえば札幌へ帰ってきてからは初めての献血です。
今日は
■献血で親に感謝する の1本です。
【献血で親に感謝する】
そんなわけで献血マニアの私としては、時間が取れればできるだけ献血に行く事にしているのである。
今の住まいが便利なのは、山の手に全道の血液センターの総本山とも言うべき北海道赤十字血液センターがすぐ近くにある事だ。
自転車でほんの数分のところにこれだけ充実した血液センターがあるのだから、気楽に行けるのは実に喜ばしいことだ。
掛川にいたときは献血をしたいと思っても車で一時間の浜松まで行かなくてはならず、往復のバイパス料金400円を払い、なおかつ浜松市内の渋滞に巻き込まれなくてはいけなかったのである。
そこまでしていながら、しばしば血液成分が基準に満たなくて「あー、今日は献血していただけませんねえ」と言われてがっくりきたものだ。
血液行政のようなこんなことも、都会と地方の差を感じる日常の一断面である。
* * * *
さて近い事を幸いに、9時少し前に血液センターに到着して受け付けを済ませる。
「ありがとうございます。今日も成分献血でお願い出来ますか」
「ええ結構ですよ」というやりとりをして検査を受ける。
浜松では白血球の数が基準の3000個/mlという値を下回ったために献血が出来ない事があったので、「白血球はどれくらいですか?」と検査医の方に訊くと「ええと…、ああ2700ですね」と言う。
「2700…って、それじゃ献血出来ないのですか?」
「ええ、少し前までは3000以下でできなかったのですが最近基準が拡大されて2500以上は良くなりましたから。まあ体質ですし、白血球は多いと返って身体の中にばい菌がいる心配がありますから、いいんですよ」とあっさり。 そんな簡単に言っていいのかー。
* * * *
検査の結果は大丈夫と言う事で、今日は片腕による血小板成分献血である。
成分献血は採血する機械も日進月歩で、少し見ない間にどんどん新しいものが導入されている。採血の仕方も、昔ならたくさん取って遠心分離器にかけて必要な成分を取り除いた後、残りの血液をたくさん返す、という方式だったのだが、最近では少しだけ取ってはすぐに分離して、少量で返すという事を何回も行う機械も登場したのだそうで、今日はその機械にあたった。
「これだと身体への負担も軽いんですよ」とは面倒を見てくれる20代後半のかわいい女性職員の方。
「小松さんは血小板の量が比較的多いので、今日は4単位の血小板でお願いします」
「少なければ2単位とか1単位ということもあるのですか?」
「あります。手術で必要な単位量というのがあって、この手術なら何単位というのが決まっているのですが、大きな手術で4単位必要だとすると、別々の人からの2単位ずつのものを持ち寄ると、どうしても不適合などのリスクは増えますから、お一人からたくさんいただけるならいただきたいのです」
ふーん、たくさん取れるならどうぞ取っていただきたいものです。
* * * *
「北海道は献血する割合はどうなのですか?」と訊いてみると
「北海道は実は高いんですよ。血小板は採取してから72時間しか持たず、保存が利かないのですけれど、本州が不足したときなど北海道から提供する事も多いんですよ」
「血小板って血液型は関係あるのですか?」
「ありますね。ですから私たちが『稀血(まれけつ)』と言うのですが、珍しい血液型の血小板が必要になるときなどは、あらかじめ血液型を登録してくださっている方に直接電話をして献血をお願いする事もあります」
「それは大変ですね」
「最近は輸血を何回もしたりする方の中には他人の血小板に対して抗体反応をおこしてしまう方もいるんです。そういう方のためにはHLAという白血球の型までができるだけ近い方に献血をお願いをするなんてこともありますよ」
ふうん、そんな血液をお願いするような事にはなりたくないものだなあ。
* * * *
「私も出来れば成分献血をしてあげたいと思っているのですが、ここの施設は規模が大きくておまけに近いので私は来やすくて好きなんです」と言うと
「ここでは全道採血した成分献血の血液検査を行う機能も持っているんですよ」
「今道内には成分献血はどこで行えるのですか?」
「札幌で3カ所で、旭川・釧路・室蘭・函館にありますが、検査のために午前中に採血を終えて、それからここまで運んでくるんですよ。やはり頼りになるのは札幌なんでしょうね」
人口が多ければ助け合いが出来る確率も高いということなんだな。それもまた都市の機能の素晴らしいところの一つだ。
もっともこうやって得られた善意の固まりも、時間の制限のうちに届けられなくては役に立たない。なにしろ血小板は一度ここへ集められる時間も含めて72時間しか持たないのだから。
善意を届けるのにも道路や鉄道と言ったインフラが必要な道理である。
献血は意志だけではだめで健康でなくては出来ないボランティアだ。したくても病気で出来ない人だって多いのだ。そして健康な身体に生んでくれた両親に感謝の思いをいたすきっかけでもある。
「身体髪膚これを父母に受く」というやつだ。自分の身体をファッションの材料と短絡的に考えて大切にしない風潮があるけれど、やはり間違っていると思う。
自分の身体も、先祖から受け継いで子孫へ繋ぐ大切な財産だ。現在の自分が勝手に貪っては行けないんだと思うよ。
今日は
■献血で親に感謝する の1本です。
【献血で親に感謝する】
そんなわけで献血マニアの私としては、時間が取れればできるだけ献血に行く事にしているのである。
今の住まいが便利なのは、山の手に全道の血液センターの総本山とも言うべき北海道赤十字血液センターがすぐ近くにある事だ。
自転車でほんの数分のところにこれだけ充実した血液センターがあるのだから、気楽に行けるのは実に喜ばしいことだ。
掛川にいたときは献血をしたいと思っても車で一時間の浜松まで行かなくてはならず、往復のバイパス料金400円を払い、なおかつ浜松市内の渋滞に巻き込まれなくてはいけなかったのである。
そこまでしていながら、しばしば血液成分が基準に満たなくて「あー、今日は献血していただけませんねえ」と言われてがっくりきたものだ。
血液行政のようなこんなことも、都会と地方の差を感じる日常の一断面である。
* * * *
さて近い事を幸いに、9時少し前に血液センターに到着して受け付けを済ませる。
「ありがとうございます。今日も成分献血でお願い出来ますか」
「ええ結構ですよ」というやりとりをして検査を受ける。
浜松では白血球の数が基準の3000個/mlという値を下回ったために献血が出来ない事があったので、「白血球はどれくらいですか?」と検査医の方に訊くと「ええと…、ああ2700ですね」と言う。
「2700…って、それじゃ献血出来ないのですか?」
「ええ、少し前までは3000以下でできなかったのですが最近基準が拡大されて2500以上は良くなりましたから。まあ体質ですし、白血球は多いと返って身体の中にばい菌がいる心配がありますから、いいんですよ」とあっさり。 そんな簡単に言っていいのかー。
* * * *
検査の結果は大丈夫と言う事で、今日は片腕による血小板成分献血である。
成分献血は採血する機械も日進月歩で、少し見ない間にどんどん新しいものが導入されている。採血の仕方も、昔ならたくさん取って遠心分離器にかけて必要な成分を取り除いた後、残りの血液をたくさん返す、という方式だったのだが、最近では少しだけ取ってはすぐに分離して、少量で返すという事を何回も行う機械も登場したのだそうで、今日はその機械にあたった。
「これだと身体への負担も軽いんですよ」とは面倒を見てくれる20代後半のかわいい女性職員の方。
「小松さんは血小板の量が比較的多いので、今日は4単位の血小板でお願いします」
「少なければ2単位とか1単位ということもあるのですか?」
「あります。手術で必要な単位量というのがあって、この手術なら何単位というのが決まっているのですが、大きな手術で4単位必要だとすると、別々の人からの2単位ずつのものを持ち寄ると、どうしても不適合などのリスクは増えますから、お一人からたくさんいただけるならいただきたいのです」
ふーん、たくさん取れるならどうぞ取っていただきたいものです。
* * * *
「北海道は献血する割合はどうなのですか?」と訊いてみると
「北海道は実は高いんですよ。血小板は採取してから72時間しか持たず、保存が利かないのですけれど、本州が不足したときなど北海道から提供する事も多いんですよ」
「血小板って血液型は関係あるのですか?」
「ありますね。ですから私たちが『稀血(まれけつ)』と言うのですが、珍しい血液型の血小板が必要になるときなどは、あらかじめ血液型を登録してくださっている方に直接電話をして献血をお願いする事もあります」
「それは大変ですね」
「最近は輸血を何回もしたりする方の中には他人の血小板に対して抗体反応をおこしてしまう方もいるんです。そういう方のためにはHLAという白血球の型までができるだけ近い方に献血をお願いをするなんてこともありますよ」
ふうん、そんな血液をお願いするような事にはなりたくないものだなあ。
* * * *
「私も出来れば成分献血をしてあげたいと思っているのですが、ここの施設は規模が大きくておまけに近いので私は来やすくて好きなんです」と言うと
「ここでは全道採血した成分献血の血液検査を行う機能も持っているんですよ」
「今道内には成分献血はどこで行えるのですか?」
「札幌で3カ所で、旭川・釧路・室蘭・函館にありますが、検査のために午前中に採血を終えて、それからここまで運んでくるんですよ。やはり頼りになるのは札幌なんでしょうね」
人口が多ければ助け合いが出来る確率も高いということなんだな。それもまた都市の機能の素晴らしいところの一つだ。
もっともこうやって得られた善意の固まりも、時間の制限のうちに届けられなくては役に立たない。なにしろ血小板は一度ここへ集められる時間も含めて72時間しか持たないのだから。
善意を届けるのにも道路や鉄道と言ったインフラが必要な道理である。
献血は意志だけではだめで健康でなくては出来ないボランティアだ。したくても病気で出来ない人だって多いのだ。そして健康な身体に生んでくれた両親に感謝の思いをいたすきっかけでもある。
「身体髪膚これを父母に受く」というやつだ。自分の身体をファッションの材料と短絡的に考えて大切にしない風潮があるけれど、やはり間違っていると思う。
自分の身体も、先祖から受け継いで子孫へ繋ぐ大切な財産だ。現在の自分が勝手に貪っては行けないんだと思うよ。