今日も千客万来。根を詰めた話が多くて、ストレスがたまってきました。ため息が多くて笑われています。
「気」は胸に溜めるとため息になるので、へその下の丹田(たんでん)に溜めるのが良いそうです。臍下丹田(せいかたんでん)って言いますよね。
今日は
■気力が衰えるということ の1本です。
【気力が衰えるということ】
北海道新聞の朝刊に、国土交通省に置かれる国土審議会北海道開発分科会での議論が掲載されていた。
一つは平成20年から始まる次期計画づくりに着手した、という話。そしてもう一つは北海道開発局の存廃論議である。
ヘッドラインを「自民、北海道開発局の存廃論議を警戒」とした記事では、道選出議員の思いとして、先の経済財政諮問会議の基本指針に北海道開発が公務員削減の重点項目としてあげられた事に対して不安を感じつつも、あからさまに反対を叫べば「抵抗勢力と言われかねない」というジレンマを持っているという。
記事の中ではこの日の会議の中で分科会会長の丹保先生が「廃止されるときは廃止されるのだから、度胸を決めてやっていかないといけない」と発言されて、「開発局の存廃を含めた将来の道開発のあり方を議論するよう求めるなど逆風は強いままだ」と述べられていた。
今日の午前中には、長期計画はどうあるべきかという中堅職員の議論の場があって、そこでも上記の新聞記事が話題になった。
しかし、東京から送られてきた情報の中の速記録にはあまりその点は強調されていなかったようで、人の発言も、そう聞こうと思う人には聞こえて、聞こえない人には聞こえないものなのかも知れない。
自分たちの行動や考え方に自信があれば他人の発言も余裕を持って聞けるが、自分たちの自信が揺らいだときにはちょっとした一言が心に刺さるものだ。
自分たちの自信を裏付けるものはなんなのか。多分「世間から信頼されているという確信」だと思うのだけれど、世間が多様化して確信が得られづらくなっているのだろう。喜びも悲しみもありがたみも、人はすぐに世の中の当たり前には慣れてしまうものだから。
その真実を伝える事は難しい。
* * * *
塩野七生(しおのななみ)さんという女性の小説家が人生のライフワークとして取り組んでいるのが「ローマ人の物語」である。
この本は1992年から全15巻の予定で執筆を開始して、現在14巻までが刊行されているのだが、私の中では人生の中で三本の指に入る名著だと思っている。
このローマ人の物語をベースにして、文春新書から塩野さんの著書で「ローマ人への20の質問」という新書が出されていて、これがまた本編を読んでいる者には面白い。なにしろローマの歴史の中には本当に人間の真実がいっぱい詰まっているのだから。
質問の2は「ローマ人の諸悪なるものについて」である。
質問者は「『ローマ文明は帝政時代に入るや一段と爛熟し…、戦争、貪欲、浪費、堕落、買収、快楽、退廃などなどで、ローマ帝国の滅亡はこれら諸悪の総決算であって、避けようのない当然の帰結とするしかない』と書かれた歴史書がありますがこの評価は正しいのでしょうか」と質問をする。
それに対して著者は、「これを書いた人は、人類全般の歴史に思いをはせた事があるのかと思うと、笑ってしまいます。キリスト教が勝利してから千七百年、ローマ帝国が崩壊してからも千五百年が経ぎている現代、人類はこの悪のうちの一つでも、過去のものにする事が出来たでしょうか」と一刀両断である。
「…しかしローマ人がこれらの悪徳に無縁であったわけでもないでしょう」
「…もちろん諸悪だって健在だったでしょう。しかし古代のギリシア人やローマ人が最高の【徳】と考えていたのは、【根絶】ではなくて【節度】のほうなのですよ。言い換えれば、悪の根絶を目指すのではなく、悪との節度ある共存です。ソクラテスもペリクレスも、カエサルもアウグストゥスも、葡萄酒を飲まなかったのではない。酔っ払わなかっただけなのです」
「つまり、バランス感覚によってコントロール下に置く事にさえ成功すれば、諸悪の根絶などという人間の本性を無視した偽善に訴えなくても、ホモ・サピエンスである人間の生活は成り立つのです」
どうです。こんなことをちゃんと教えてくれる本が他にありますか?
* * * *
最後の20問目の質問が「なぜローマは滅亡したのか」である。これは古今の歴史家が好んでテーマにした話題だが、極めつけの答えにはなかなかお目にかかれない難しいテーマでもある。
ローマ帝国衰亡史を書いた18世紀の歴史家エドワード・ギボンによれば「なぜ滅亡したのかと問うよりも、なぜあれほども長期にわたって存続出来たのかについて問うべきなのである」と述べていて、塩野さんも「まさにその通りなのですが、彼以後の歴史家たちの間で、存続の要因の検証よりも滅亡の要因を探る事のほうが大勢になってしまいました」としている。
そしてローマの滅亡の理由そのものについて著者は「常に書いている時代に生きているつもりで書いている自分にはまだそんな未来のことは仮設でさえもお話し出来る状態にはない」として自分自身の明確な答えはまだ述べていない。
しかし「想像なのですが…」と条件を付けた上で「所詮はローマ人の気力の衰えに帰すのではないかと思う。覇気が失われたと言い換えても良い。悪行でも、それをするにはエネルギーを要します。ローマ人は、あれほどの規模で善悪ともに発揮されていた、バイタリティーを失ったのではないか。そして、それが自信を失った結果であるならば、なぜローマ人はある時期を境にして、自信を失うように変わってしまったのか」
「ローマはなぜ滅亡したのか、に答えるには、ローマ人はなぜ、いつ、何が原因で自信を喪失してしまったのか、に答えればよいとさえ考えています」
本の最終章を紹介する事でこの本への興味を半減させてしまったかも知れない事には申し訳ないと思いつつ、あのローマ帝国が滅亡した遠因として自信の喪失を掲げている事に、いまの北海道の状況が重ねられるのである。
北海道で厳しい冬に耐えてこの大地に生活する者としての自信を我々は持っているのだろうか。
我々は自分たちの故郷に、仕事に自信と誇りがあるのだろうか。
せめて自分だけでもそれらを生み出して持ち続けたいものだと思うなあ。
「気」は胸に溜めるとため息になるので、へその下の丹田(たんでん)に溜めるのが良いそうです。臍下丹田(せいかたんでん)って言いますよね。
今日は
■気力が衰えるということ の1本です。
【気力が衰えるということ】
北海道新聞の朝刊に、国土交通省に置かれる国土審議会北海道開発分科会での議論が掲載されていた。
一つは平成20年から始まる次期計画づくりに着手した、という話。そしてもう一つは北海道開発局の存廃論議である。
ヘッドラインを「自民、北海道開発局の存廃論議を警戒」とした記事では、道選出議員の思いとして、先の経済財政諮問会議の基本指針に北海道開発が公務員削減の重点項目としてあげられた事に対して不安を感じつつも、あからさまに反対を叫べば「抵抗勢力と言われかねない」というジレンマを持っているという。
記事の中ではこの日の会議の中で分科会会長の丹保先生が「廃止されるときは廃止されるのだから、度胸を決めてやっていかないといけない」と発言されて、「開発局の存廃を含めた将来の道開発のあり方を議論するよう求めるなど逆風は強いままだ」と述べられていた。
今日の午前中には、長期計画はどうあるべきかという中堅職員の議論の場があって、そこでも上記の新聞記事が話題になった。
しかし、東京から送られてきた情報の中の速記録にはあまりその点は強調されていなかったようで、人の発言も、そう聞こうと思う人には聞こえて、聞こえない人には聞こえないものなのかも知れない。
自分たちの行動や考え方に自信があれば他人の発言も余裕を持って聞けるが、自分たちの自信が揺らいだときにはちょっとした一言が心に刺さるものだ。
自分たちの自信を裏付けるものはなんなのか。多分「世間から信頼されているという確信」だと思うのだけれど、世間が多様化して確信が得られづらくなっているのだろう。喜びも悲しみもありがたみも、人はすぐに世の中の当たり前には慣れてしまうものだから。
その真実を伝える事は難しい。
* * * *
塩野七生(しおのななみ)さんという女性の小説家が人生のライフワークとして取り組んでいるのが「ローマ人の物語」である。
この本は1992年から全15巻の予定で執筆を開始して、現在14巻までが刊行されているのだが、私の中では人生の中で三本の指に入る名著だと思っている。
このローマ人の物語をベースにして、文春新書から塩野さんの著書で「ローマ人への20の質問」という新書が出されていて、これがまた本編を読んでいる者には面白い。なにしろローマの歴史の中には本当に人間の真実がいっぱい詰まっているのだから。
質問の2は「ローマ人の諸悪なるものについて」である。
質問者は「『ローマ文明は帝政時代に入るや一段と爛熟し…、戦争、貪欲、浪費、堕落、買収、快楽、退廃などなどで、ローマ帝国の滅亡はこれら諸悪の総決算であって、避けようのない当然の帰結とするしかない』と書かれた歴史書がありますがこの評価は正しいのでしょうか」と質問をする。
それに対して著者は、「これを書いた人は、人類全般の歴史に思いをはせた事があるのかと思うと、笑ってしまいます。キリスト教が勝利してから千七百年、ローマ帝国が崩壊してからも千五百年が経ぎている現代、人類はこの悪のうちの一つでも、過去のものにする事が出来たでしょうか」と一刀両断である。
「…しかしローマ人がこれらの悪徳に無縁であったわけでもないでしょう」
「…もちろん諸悪だって健在だったでしょう。しかし古代のギリシア人やローマ人が最高の【徳】と考えていたのは、【根絶】ではなくて【節度】のほうなのですよ。言い換えれば、悪の根絶を目指すのではなく、悪との節度ある共存です。ソクラテスもペリクレスも、カエサルもアウグストゥスも、葡萄酒を飲まなかったのではない。酔っ払わなかっただけなのです」
「つまり、バランス感覚によってコントロール下に置く事にさえ成功すれば、諸悪の根絶などという人間の本性を無視した偽善に訴えなくても、ホモ・サピエンスである人間の生活は成り立つのです」
どうです。こんなことをちゃんと教えてくれる本が他にありますか?
* * * *
最後の20問目の質問が「なぜローマは滅亡したのか」である。これは古今の歴史家が好んでテーマにした話題だが、極めつけの答えにはなかなかお目にかかれない難しいテーマでもある。
ローマ帝国衰亡史を書いた18世紀の歴史家エドワード・ギボンによれば「なぜ滅亡したのかと問うよりも、なぜあれほども長期にわたって存続出来たのかについて問うべきなのである」と述べていて、塩野さんも「まさにその通りなのですが、彼以後の歴史家たちの間で、存続の要因の検証よりも滅亡の要因を探る事のほうが大勢になってしまいました」としている。
そしてローマの滅亡の理由そのものについて著者は「常に書いている時代に生きているつもりで書いている自分にはまだそんな未来のことは仮設でさえもお話し出来る状態にはない」として自分自身の明確な答えはまだ述べていない。
しかし「想像なのですが…」と条件を付けた上で「所詮はローマ人の気力の衰えに帰すのではないかと思う。覇気が失われたと言い換えても良い。悪行でも、それをするにはエネルギーを要します。ローマ人は、あれほどの規模で善悪ともに発揮されていた、バイタリティーを失ったのではないか。そして、それが自信を失った結果であるならば、なぜローマ人はある時期を境にして、自信を失うように変わってしまったのか」
「ローマはなぜ滅亡したのか、に答えるには、ローマ人はなぜ、いつ、何が原因で自信を喪失してしまったのか、に答えればよいとさえ考えています」
本の最終章を紹介する事でこの本への興味を半減させてしまったかも知れない事には申し訳ないと思いつつ、あのローマ帝国が滅亡した遠因として自信の喪失を掲げている事に、いまの北海道の状況が重ねられるのである。
北海道で厳しい冬に耐えてこの大地に生活する者としての自信を我々は持っているのだろうか。
我々は自分たちの故郷に、仕事に自信と誇りがあるのだろうか。
せめて自分だけでもそれらを生み出して持ち続けたいものだと思うなあ。